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小話エッセイ/解釈の難しい“おすそ分け”

以前住んでいた世田谷の激安八百屋やおやにて。

「これ、食べきれないから1個あげるわ」
見知らぬおばさまが、2ふさ100円で買われたバナナを、会計の済んだこちらのカゴへぽんと入れてきた。

「えっ、でも」
「いーのいーの、どうせ余るんだから」
世田谷のおばさま方は、人生に余裕があるためか、見た目よりもフランクな人が多かった。

「ありがとうございます、頂きます」
バナナなら、いい。
いや、本当にありがたいことである。

同じく世田谷、駅前の喫茶店にて。

「安かったから。はい、あなたの分」
隣の席で、にこやかに笑うおばさまが、小さなテーブル越しにスイカを一玉ひとたま、目の前の女性に突きつけていた。

「あらっ、まぁ・・」
表面上は嬉しそうな顔をしている相手女性は、嫁か、はたまたサークル仲間か。

相手女性よ、車で来てんやな?
それも近くに停めてんやな?
まさか歩きか、電車ではあるまいな。

様々な憶測が脳内を駆けめぐる。

春には、同様につちの付いたタケノコが受け渡される現場をも目撃したことがある。

これから帰ってでるんか。
米ヌカも常備してる前提か。
おばはん、それはホンマの善意なんか。

老眼のフリして頭を反らし、渡す方と受ける方、双方の表情を何度も盗み見したものだ。

しかし、かく言う私にだって身に覚えがないわけではない。

「青磁さん、ご自宅でパン焼くんですってね」
「すごーい、今度たべてみたいです」
「うん、いいよ! 持ってくるね(嬉)」

それからしばらくの間、
私の差し入れた数々のパンを消費するのが、職場でのひそかなノルマとなっていたらしいのは、今でもほろ苦い思い出である。

現在住んでいる多摩のはじっこ、JAの直売場では、旬を迎えたトウモロコシが大人気だ。

多くの方々が、ひげボーボーのトウモロコシたちを、いくつものビニール袋からはみ出させたまま車に積み込んでいる。

ーーどうか それぞれのビニール袋が、貰い手に喜んで引き取られていきますように。

と、そのように願ってやまない今日この頃である。

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