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「サイゴン裁判」を知りたい

 令和3年(2021)は,アメリカ,イギリス及びオランダと開戦した昭和16年(1941)から80年となる年。

 これら「連合国」同様,アジアに植民地を有していたフランスに対し,日本が攻撃を開始したのは,4年後の昭和20年(1945)3月9日から10日にかけた深夜。同じ頃の東京では,米軍によるナパーム弾の炎雨が人を街を焼き尽くしていた。
 ベトナム,カンボジア及びラオスからなる仏領インドシナにおいて,約80年植民地支配を続け,昭和15年9月以降は日本の進駐を容認するなど協力関係にあったフランスに対し,日本軍は,昭和20年3月9日午後10時から「明号作戦」と称した軍事作戦を始動,ほぼ1日で仏領インドシナのフランス軍を征圧した。
 翌日の昭和20年(1945)3月11日には,ベトナム阮王朝のバオダイ帝が,1884年に植民地支配のためフランスに結ばされた甲申条約を破棄し,フランスからの独立を宣言,その保護を名目に日本軍は駐留を続けた。日本としては,石油等の南方資源の海路輸送が不可能となった状況下で,かろうじて陸路での可能性を残した。

 この「明号作戦」一戦に関し,戦後ベトナムに戻ってきた"戦勝国"フランスが,いわゆる日本人BC級戦犯を裁くためにサイゴンに設けたのが「西貢(サイゴン)常設軍事裁判所」,ここで開廷されたのが「サイゴン裁判」。
西貢常設軍事裁判所の建物は,ホーチミン市人民裁判所(Toà án nhân dân Thành phố Hồ Chí Minh)として現存•現役。平成30年(2018)11月に仕事で訪れた時は写真のように修復中だった。もともとは,フランスが1885年に建設したもので,後年のベトナム戦争時の南ベトナム(ベトナム共和国,VNCH)では最高裁判所とされていた。
 サイゴン裁判では,合計230人が起訴されている。うち63人に死刑判決。終身刑23人,有期刑112人,無罪判決31人。
 第二次世界大戦の90%程度を日本やドイツに協力,ドイツ勝利後の欧州第二位の地位を確保するため,アフリカやアジアの植民地を維持するなど利益も享受していたはずフランスが,「連合国の一員」であることを内外に印象付け,かつ再植民地化のためベトナムで権力を誇示するべく,その裁きは峻烈を極めたようだ。

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 サイゴン裁判で裁かれた事件の一つが,中華民国との国境に近いベトナム北部のランソン(Lạng Sơn)で起きた事件。「明号作戦」を遂行した日本軍が降伏したフランス兵約300人を殺害した件に関するもので,その内容や裁判の経緯などは,当該事件の弁護人を務めた杉松弁護士がその裁判資料や死刑囚の遺書などを編した「サイゴンに死す」に詳しい。

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東京で弁護士をしています。ホーチミン市で日越関係強化のための会社を経営しています。日本のことベトナムのこと郷土福島県のこと,法律や歴史のこと,そしてそれらが関連し合うことを書いています。どうぞよろしくお願いいたします。