お茶漬けが食べたい話
屋久島へ旅行に行ってきた。
ナチュラリストには垂涎の島ではあるが、悲しいかなこちとら、似非である。
フェイスブックにアップしていいね!を稼ぐために、飼いならされたマルチーズのような自然となら戯れてみてもいいかなと思うが、本物の野生はちと辛い。
田舎育ちのくせに虫も嫌いだし、何より数時間もかけて険しい道を歩くのが嫌だ。
そんなわけで、基本はホテルでまったりと過ごし、時折フェイスブックにアップするために海の写真なんぞを撮りに出かけるという、大人の休日倶楽部的過ごし方をすることにした。
結婚記念日のお祝いも兼ねていたので、ホテルは奮発して豪華なところに泊まり、滞在中は毎食贅沢な食事に舌鼓を打った。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、先程家に帰って来たのだが、今一つの感情が渦巻いている。
めっちゃお茶漬けが食べたい。
冷蔵庫に入っている冷えたご飯に、永谷園のお茶漬けの素をかけ、そこに熱々のお湯を注いで作るお茶漬けが食べたい。
お茶漬けの素は梅がベスト。お茶漬けだからといって、お茶を注いではいけない。永谷園のお茶漬けの素には、たっぷり熱々のお湯を注ぐのが王道だ。
別にお腹が空いているわけではない。むしろ、連日のご馳走ラッシュで胃は少々お疲れ気味だ。
それなのに何故?と思ったが、すぐに答えに思い至った。
これは幼き頃の家族旅行の影響だ。
私の実家はお茶を柱にした農家で、年中忙しく働いている家だったが、春休みの頃の比較的農作業が落ち着く時分には熱海とか伊豆へ旅行に連れていってくれた。
そんなに裕福な家ではなかったので、母親の作ったおにぎりとウインナーと卵焼きの弁当を持って、親父の運転する車で動物園やらに出かけ、夜はひなびた温泉宿に一泊して帰ってくるというような小旅行だったが、小さい頃の私にはとても楽しい旅だった。
旅行を終えて家に戻ると、親父は「ああ、やっぱり家が一番だなー!」と必ず同じことを言った。
そして、必ず母親にお願いして、お茶漬けを作ってもらっていた。
永谷園のお茶漬けを。
旅行が終わってしまったことを寂しく思っていた当時の私には、なんで家が一番なのか、そして、なんでお茶漬けなんて嬉しそうに食べるのか、ちっともわからなかった。
もっと旅館に泊まっていたかったし、そこで出されるご馳走を食べていたかった。
でも、今、親父とまったく同じことを思う。
やっぱり家が一番だ。
そして、お茶漬けを食べていた親父の気持ちもわかる。
親父にとって、お茶漬けは、愛すべき日常に返ってきたことを実感できる食べ物だったんだろう。
どんな楽しい旅行よりも楽しい日常がある。
それはなかなか素晴らしいことだ。
悲しいかな、本日の我が家には冷飯も永谷園のお茶漬けの素もなかった。
今からご飯を炊いて、わざわざ永谷園のお茶漬けの素を買いに走るというのは、お茶漬けを食べるシチュエーションとしてはいささか大仰過ぎる。
たがら今宵私のお茶漬け欲が満たされることはないだろう。
それでも、楽しかった今回の旅行と、楽しかった子供の頃の旅行、それぞれを思い出しながら、一番寝心地の良い我が家の布団でぐっすり眠ろう。
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