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人生をセーブしていた話

昔、私は自分の人生をセーブしていた。

セーブといっても、「力をセーブする」というような意味のセーブじゃない。

ロールプレイングゲームでこれまでの冒険を記録する際に使われる「セーブ」の方だ。

人生をセーブしていた。何のこっちゃと思うだろう。

私もそう思う。

でも、実際に小学校3年生くらいの時の私は、しばしばこれまでの自分の人生をセーブしていたのだ。

その頃、私はとっても幸せだった。

まだ、顔立ちの良さとか、運動能力とか、裕福度とか、そんなものが人生の中にでしゃばってこなかった頃。

私は、「くだらないことを大声でしゃべりまくる」ということと「給食をたくさん食べる」ということの2つを武器に、クラスの人気者としての地位を確立していた。

今思うと、竹やりよりも貧相で頼りない武器だけど。

それでも当時、恐れ知らずにもこの装備を信じて小さな世間に立ち向かい、ゴリゴリと攻めの姿勢を貫いた結果、分の悪い戦いにも何とか勝利できていた。

友達はたくさんいたし、トークはいつもウケていたし、バレンタインにはチョコレートももらったりした。

日が暮れるまで遊び周り、帰ったら家でお母さんの作ったごはんを食べて、ファミコンをしてTVを見て、あとは寝るだけ。

毎日がはちゃめちゃに楽しく、自分と世界はぴったりとひとつに重なりあっていた。

一方で、周りの大人たちを見ていて、こんな楽しい毎日がこの先ずっと続くことはないんだろうな、とも感じていた。

底抜けにバカで厚かましい一方で、とても敏感なお年頃だった。

「きっと自分の人生は今がピークなんだ。そしてこの先大人になると、友達もファミコンも夏休みもお年玉もない生活に閉じ込められて、毎日疲れた顔をして暮らすんだ。」

そう思うと、楽しかった今日が二度と手の届かないどこかへ去っていってしまうのがたまらなく寂しかった。

5時のチャイムとして使われていた『遠き山に日が落ちて』が町に鳴り響き、そのタイトルの通りに山の向こうに夕日が沈んで行くのを眺めていると、涙ぐんでしまった。

そんなとき、私は心の中でこう唱えた。

「セーブ。これまでの人生、みーんなセーブ。」

これで大丈夫。

これで私は、大人になった自分の人生が嫌になったら、このセーブしたところから自分の人生を再び始められる。その頃プレイしていたドラクエやファイナルファンタジーのように。

なんでそんなことを思ったのか、どういう理屈だったのか、今となってはまったくわからない。

でも、あの頃は心の底からそのことを信じられていた。

良い時代だったのだ。

何かを心のそこから信じられるって素晴らしい。

小さい頃の私の貧相な装備も、何の根拠もないセーブも、本当にそのことを信じ切れば、自分の人生を幾分かでも良いほうに持って行ってくれる。

そんなことを『あなたが本当に身につけるべき「疑う技術」』という記事を読みながら思った。

神様、あの時のセーブデータ、まだ生きてますか?


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