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始末つけさせておくんなはれ【オンナという名の女の子その4】

施設に入れば、
これまでの生活ではなくなる。
それ相応の不自由や、がんじがらめがある。
自分自身が彩ってきた暮らしも自分の掌からこぼれ落ちる。

15の歳から、80数年、ミナミ周辺で1人で生活した女性が、だ。
96までは『1人で100まで頑張らなあかんのやかいに、人には甘えたらあきまへん』いうてた人間が、だ。

この半年で97回って、
不自由さより寂しさやら1人で死ぬ不安やらの天秤が重たくなって、
《施設の不自由さを選ぶ》というのなら、
それがその場の戯言であれ、
それが二転三転する言葉であれ、
生き様であれ死に様であれ、
施設に入ればそのまま衰えてしまおうと、だ。

俺はさっさと背中押したいと思う。

弱い自分は見せたくないからて、
散々様々なお芝居打つ様を見せてもらい、
楽しませてもらってきた俺は

【施設に入れば、そこがキタであれ、ミナミであれ、どうせ外出れないんやから、同じ】と本人以外がいうことには耐えれないなぁと思った。

大切なのは、そこが【キタかミナミか】【外でれるか出れないか】そういうことではなく、【キタやミナミや、あの時代のその暮らしやこの想い】を解してくれる、語り合える、受け止めてもらえる安寧じゃないのか。

足がもっと動いてた1.2年前まで。
寂しくなれば夜の散歩に出かけて、
下大和橋の欄干から、遠く西に宗右衛門町のネオンを眺め、その向こうに、若い頃の自分達を思い出し、『あの頃は楽しかったなぁ。よーし頑張るぞー!』と気合を入れ直してもどってくる夜を過ごすこともできた。

考えることが覚束なくなってきた最近、
下着ですら、補聴器ですら、
盗られたと思い当りやすくなった最近、
人に頼りたくなくても
人に甘えたくなくても
人に期待したくなくても期待せざるをえなくなった最近、
『この子ら扶養家族がおりますから、頑張れますねん』と言ってた猫にクスリ盛って、先に逝かせてやれば、お互い楽なんじゃないかと思い至るようになった最近、

そこがキタかミナミかじゃねぇよ。
そこが施設かどうかでもないだろう。
出した答えが正しいかどうかでもない。
1人の夜を1人で死んでいくんじゃないかという
恐ろしさに1人向き合わせるのか?
猫殺すかどうかじゃねぇよ。
殺そうかどうしようか、そんな気持ちで、
自分の命に向き合わさせるのか?

一昨日の夕方、
補聴器が壊れ、修理だしているから聴こえない耳で、ほとんどかけてこない電話の向こうから彼女はこういった。

『先生、わたしではどうしても判断がつかないことがありますねん。お忙しいのにごめんねぇ。わたし耳が聞こえませんので、どうかウチまで来てもらえませんやろか。
始末つけさせておくんなはれ。』


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