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地域へのリスペクトを何よりも大切に。呼子に暮らす林康紀さんの挑戦は続く。


佐賀への移住起業を実際に実現した方のストーリーをご紹介

これまで佐賀県における移住起業のサポート体制を詳しく説明してきましたが、ここからは実際に県外から佐賀へ移住し、起業を実現された方々の体験記をお伝えしていきたいと思います。
 
最初に紹介させていただくのは、唐津市呼子町にて宿と洋食屋、コーヒーショップなどさまざまな事業に取り組まれている林康紀(やすのり)さん。

海のまち・唐津市呼子町

このまちに林さんはどうやって溶け込んでいったのか?どうやって飲食業や宿泊業をはじめることができたのか?そして、これからの展望は?
移住起業にトライした先輩のリアルなストーリーをどうぞ感じてみてください。

聞き手・書き手:佐々木元康(灯す屋、移住起業支援コーディネーター)
写真:壱岐成太郎(@seitaroiki

ここにイカ屋しかなかったから

-:林さん、早速ですがどうして呼子を移住先に選んだんですか?

林さん:移住したのはいまから18年ほど前なんですが、その前に呼子に遊びに来たことがあって。夜ご飯を食べて(当時住んでいた福岡に)帰ろうと思ったんですけど、本当に真っ暗で。イカ屋さん(※)しかないんですよ、飲食店が!だから結局、呼子で食べられずに帰ってから食べたんですけどね。そのときに、「ここだったらもしかしたら地元のお客さん向けにお店をやってみたらいけるかな?」と思ったのがきっかけですね。呼子は家が密集してて何とかなりそうと思ったんです。

※呼子は、イカで有名なまち。特に活作りは最高で、来たら必ず食べて欲しい一品です。

ー:顧客ニーズがあるかもと感じた訳ですね。他の場所は検討されたんですか?

林さん:実家のある広島も考えたんですけどね。(和歌山出身の)妻が先に唐津に移住してたんですよ。波戸岬の近くでフードトラックを出して、クレープやかき氷なんかを出してました。たまに僕も手伝いに来てて、そのおかげでこっちに土地勘が出来てたのは大きかったですね。

-:なるほど。では移住は結構スムーズに(進んだんですか)?

林さん:いえ、なかなか空きテナントが見つからなかったんですよね。しばらくしたとき、たまたま呼子大橋の近くにあった元焼肉屋さんを見つけて。狂牛病(BSE)が流行った時期で、それが原因で辞められてたそうなんです。でも、当時お正月で、空きテナントなのにちゃんと正月飾りが飾られてたんですよね。ああ、このお店を大切にされてるんだな。本当は辞められたくなかったんだろうな。という気持ちが伝わって。僕はここでやりたい!と思いました。

やるつもりじゃなかったお店は、おもしろそうがきっかけに

そうして18年前にオープンしたのが洋食屋VESPER.(ベスパー)。その場所で15年間営業し、3年前に今の場所へ移転されました。移転前の場所は、呼子だけでなく近隣の町からも訪れやすく、お客さんも来てくれていたそうです。

林さん:10年ほど営業した頃に、再度改修を入れるかどうか迷ってたんですよね。その頃の呼子って、唐津市と合併当時6000人ほどいた人口がどんどん減って4000人とかになってたんですよ。高校が全部唐津の方にいっちゃって、親子で移り住む人もいたりして。そうやってどんどん高齢化が進んでいったときに、あと10年後の商売を考えたらこのまちにメインのお客さんがいなくなっちゃうなと思ったんです。だから、これからは観光客のことも考える必要があると思って、海側の物件に引っ越そうと探すことにしたんですがなかなか見つからず…。広島に戻ることも考えました。

-:そんな中、コーヒーショップの営業も始められてますよね?

林さん:そうなんですよね。元々やる予定じゃなかったんですけど(笑)。お店を始めたいという知り合いがいたので、その人を連れて呼子の朝市通りを歩いたら、ここおもしろいなと思って。ああしたらいいのになと思うことが色々あって、「ここでコーヒーショップができるならやってみようかな」と相談したところ貸してもらえることになって。それで、はじめることになりました。

moc-coffee(モックコーヒー)

ー:なにがおもしろいポイントだったんですか?

林さん:そのお店の場所は朝市通りの入口と言われていた場所だったんですけど、大きい駐車場から朝市通りへさっと行ける道が1つできちゃったことでこの場所を人が通らなくなったんですよね。こっちの通りには、お饅頭屋さんとか焼売屋さんとかいいお店があるのに人が来ない。お客さんはそれに気づいてなくて、「朝市って意外と何もなかったよね」とか言って帰るような方もいる。もったいないなあ、と思いました。だから、朝市のお客さんに「こっちの通りになんかありそうだぞ」と気づいてもらえるように入口の側に『離れ』をつくって、コーヒーを飲んでもいいし朝市で買ったものを食べてもいい場所をつくりました。
そしたら、まち全体がフードコートみたいになってきっとおもしろいんじゃないかと思って。

写真右の電柱奥がmoc-coffeeのhanare(離れ)。自由に出入りできます。

呼子にあるものを伝えていく

元々やるつもりがなかったコーヒーショップを始めて、朝市通りに変化を起こし始めた林さん。そんな中で4年前、後にゲストハウス兼洋食屋となる古いお屋敷に出会うことができました。

百と十_Vesper(旧道側より撮影)

林さん:呼子にはザ・旅館という宿泊場所しかなく、気軽に安く泊まれるドミトリーぽい感じの宿が欲しかったんですよね。夜はイカ屋さんで食べてもらって、朝は朝市で食べ歩きしてもらったら楽しいんじゃないかなと思って。

ようやく出会えた海側の建物だったんですけど、結構問題だらけではあったんですよ。当初設計していたものが、工事を進めていくたびに「これできんよ」と毎日のように言われて。じゃあどうするか、大工さんや商工会の繋がりで色んな人たちに話を聞いて、出来ることを考えました。結果としては、最初に考えていた以上のものが出来たと思っています。それは、半年もの間、うちの工事だけに時間を割いてくださった大工さんがいてくれたからだと思いますね。

「うなぎの寝床」になっている。奥が洋食屋、手前がゲストハウス。
移転後(現在)の洋食屋Vesper
ゲストハウス百と十

-:空き家の改修は開けてみないと分からないことが多いですよね。それにしても、半年間も伴走してくれた大工さんがいたなんてすごい!

林さん:引っ越してきたときに、声をかけていただいたコミュニティには全て入ろうと思いました。消防団、青年団、商工会青年部とか。入ってみたら、思ったよりも地元の人が入ってないなって思ったこともありましたけど(笑)。そのおかげで、自分のことやお店のことを皆さんに知ってもらうことができました。本当に、可愛がってもらいましたね。

林さん:時期は遡りますが、最初に洋食屋を始めたすぐに福岡で飲酒運転による死亡事故があって、それがニュースで大きく取り上げられたことがあったんです。そしたら、夜に人がぱったりと出なくなって、お客さんが来なくなってしまって。その間ずっと、地元の人たちが来て助けてくれました。改修中に「ここでお店開いても(お客さん来ないから)ダメよ~」と言っていたおばちゃんたちがよく来てくれたんです。口はちょっと悪いけど、めちゃくちゃ根が良くて人情がある。それが呼子の人なんです。

-:ぐっと来るストーリーですね。ゲストハウスをオープンしてみてどうですか?

林さん:ちょうどコロナ禍にオープンしたので、結構暇でよく人を眺めてたんですよ。そしたら、全然流動してないことに気づきました。皆さん、イカを食べには来てるんですけど、その前後でまちを歩くような施策がなされていないし、情報を取る場所もないんです。観光客が色んなお店を訪れることができて滞在時間を長くできて、呼子って良かったな、また来たいなという「地域のファン」をつくることに今から取り組むのが必要じゃないか。人口減少が進む中、1回だけでなく2回来てもらえるまちづくりをしていきたい。イカだっていつまで食べられるか分からない。もし食べられなくても、何かがここにあるということをしっかりと伝えることが大事だと思うようになりましたね。

呼子の朝市通り。平日の11時台は人もまばらでした。

-:それでつくったのが、朝市通りのコンテナハウスROG

林さん:実は、朝市通りで商売をするのって難しくて長続きしないんですよ。なぜなら、朝市に来てる人は買い物という目的があって来てるわけではなく、有名だから行ってみようという感じなんですよね。だから財布の紐が固い。しかも、露店が出るのは朝の7時半から12時まで。観光客は9時くらいから来るので、(お客さんがいるのは)正味2時間くらいしかないんです。皆さん、お昼にイカを食べて帰るので、朝市で(海産物を)買って帰るのは難しい。今の朝市って、まちの観光に合ってないとすごく思います。
そこで、コンテナハウスにはレンタサイクルを置いて、ゆっくり滞在することができるようなまちにしていきたいと思ってます。サイクリングコースを地元の皆さんと一緒に考えて整備しているところです。あと、呼子から離島への船がいくつか出ているので、電動マウンテンバイクを船に乗せて、2時間くらい島を回って帰ってくることもできます。色んな人たちに呼子を見てもらって、観光ならではの良いものや課題が見えるようになれば、もっと呼子を良くすることができるんじゃないかな。

コンテナハウスROG前に設置されている看板

もらったものを返していきたい

飲食店だけでなく、ゲストハウスやレンタサイクルなど事業の幅を拡げ続ける林さん。そこには、呼子への恩返しの気持ちがあるそうです。

林さん:お客さんが来ない時期が何度か訪れた中で、呼子の人たちには何度も助けてもらいました。これからは、自分が(恩を)返していきたい。呼子にはイカ以外にもいいものがたくさんあることを発信していきたいんです。住んでる人には分からないけど、よそから見たら呼子は宝の山に見えるんですよね。

旧道には古い街並みと暮らしがいまも息づく

ー:呼子に移住し、起業しようという人にアドバイスするとしたら?

林さん:呼子に限らないですが、住んでいらっしゃる人たちへのリスペクトが絶対に必要だと思います。うまく定着できる方とすぐに出ていく方がいらっしゃるんですが、後者の方は自我ややりたい気持ちが強くて、地域の方に受け入れられないというケースが多くてすごくもったいないなと。おばあちゃんたちのお話の中にも色んな発見がある。自分の芯は持ってないといけないけど、地域の人たちと融合していく感じ。色んな人たちと話をし続けることが地域でお店を続けていける秘訣じゃないかな。おもしろいですよ、おばあちゃんの話(笑)。

呼子には元気なおばあちゃんがたくさんいました

編集後記

取材を終えて、林さんの一つ一つの対応の丁寧さを見て「目の前の人に真摯に向き合ってくださる人なんだな」と感じました。大きな目標は掲げつつ、決して足元を蔑ろにはしない。林さんはそんな安心感がある人だと思います。

実は、取材前に一度コーヒーを飲みにvesperを訪れたことがあったのですが、そのときに店内から「林くんが来てから、呼子は変わったよね。来てくれてよかった!」という声が聞こえてきました。恐らく、呼子のまちの人でしょう。
また、林さんの取材後に訪れたmoc-coffeeでは、そこで働く女性スタッフの方から「林さんがいてくれて、めちゃくちゃ嬉しい」と伺いました。この方も、呼子で暮らす方でした。

言うは易く行うは難し。
誰でも林さんのようにできないかもしれないけれど、誰でもできることをちゃんとやっているのが林さんだと感じました。
これから移住起業する多くの皆さんに、この記事が届きますように。

林さんのお料理、本当に美味しかったです

呼子のお宿と洋食屋『百と十_Vesper』
https://hyaku-to-juu.com/
住所:佐賀県唐津市呼子町呼子1960−2
TEL:0955-82-3287

moc-coffee
https://www.instagram.com/moccoffee.yobuco/
住所:佐賀県唐津市呼子町呼子4185-16
TEL:0955-55-9032

林康紀さんのプロフィール

1972年 広島県生まれ
絵を描くこととバスケットボール三昧の幼少期。

1990年 九州産業大学で油彩画を学ぶ。
就職氷河期の中、高校から続けていた飲食店にどっぷり入りチェーン店や個店でサービスや調理、店舗運営等を学ばせてもらう。

2005年6月 居を呼子に移して店内改装に4ヶ月かけ、10月にカフェダイニングVESPER.開業。

2018年3月 唐津初のコーヒースタンドmoc-coffeeを呼子朝市に開店。

2020年4月 1号店VESPER.を呼子中町にある明治時代の伝統的町屋に移転、と合わせゲストハウスを併設。 コロナウイルスと同時期に観光業に携わる。

2022年 呼子朝市の真ん中にROG33.129をオープン。呼子がイカの活き造りの町だけでなく、次の場所や体験につながる中継地点になるよう、インフォメーションやレンタサイクル施設にするが現在苦戦中!!

呼子が重要伝統的建造物群保存地区になるため、町並み保存協議会や委員会に参加中。

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