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「傷つく事は悪い事じゃない。」──絶望と色について

絶望した事はありますか?

私自身も以前、ある事で大変に悔しく、腹立たしく、悲しい思いをした事があります。

詳細は置いておくとして、
その時は、なんで私が?というショックと、人の信頼なんてこんなものか、という落胆で、何をしていてもその事が頭から離れず、何かを楽しむなんて全くできなくなりました。
経緯を知る友人達に、君は悪くない、ひどいのはあっちのほうだ、と慰められてもショックは癒えず、毎日ひとりでに涙が出てくるのでした。

そんな状態で、数カ月たった頃です。

仕事先からの帰途、バスターミナルのベンチに座ってぼんやりしていると、突然、視界の下の方から、大変に美しい赤い色が立ちのぼってきたのです。

その美しさは、例えるなら、シャガールの絵の実物を、初めて生で見た時に、その赤い色の美しさに驚いた、それによく似ていました。
あの純粋で、澄みきった赤。


なんだこの美しさは……。

驚いて見ていて、すぐ我にかえりました。
我にかえってみると、辺りはどこも赤く染まっているわけではなく、いつも通り、何も変わっていません。

そうか、絶望して頭がおかしくなったんだな。

他人事のようにそう思いました。
自分の頭がおかしくなろうが、どうでもよかったのです。

“赤い幻視” を見たのはそれっきりでしたが、私の絶望に何も進展はないままに、さらに少し時が過ぎました。

そんなある日の深夜──。

私は某地のクラブにいました。
完全に現実逃避でした。

目の前には、先ほどここで演奏を終えたばかりのミュージシャンが座っていました。仲間や居残ったお客に囲まれて、上機嫌で酔っぱらっていました。

どういう話の流れだったか覚えていませんが、その方が、不意にこう言ったのです、傷つく事は悪い事じゃない。

「傷つく事は、悪い事ではない。絆創膏っていう字、あれは “創” の字を書くでしょう?創は “きず” だよね。だから作り出すっていう意味が含まれているんだよ。だから悪い事じゃない。」

そして少し照れくさいのか、声が小さくなって、でもこう続けました。

「絶望して、どん底にいる時に見える色がある。俺は “緑” だった。」

私が自分の窮地を打ち明けたわけではなかったのですが、自然にそんな話を聞く流れになり、ああ、そうか、と思いました。

私は小さい頃から、数字や文字、音楽や人を色に置き換える癖があって、ある時この方の強烈な演奏を聴いた時、ああ、非常に緑だ、と思い、それ以来私の中で、この方は緑なのでした。年齢的には壮年でしたでしょうが、瑞々しい、深緑のように瑞々しい緑色。

どん底にいる時に見える色。

もし、どん底の場所に辿り着いてしまったら、そこは地獄かもしれませんが、しかしながら、その位置からありのままに差し出されるのは、もはや希望的観測も願望もない代わりに、

それはおそらく、

その人から最後の最後に絞り出される一滴。
汚れのない、純粋な、真っさらなその人自身と言えるでしょう。

私自身がたった一度だけ見た、私の中にあるあの澄み切った赤い色も、

おそらく誰かが、見ているのでしょう。

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