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私はいったい、何を見たのでしょうか─林道にて

ある日。

とある林道を散策していた時のこと。通行量も少なく誰もいない、しんとした坂道を登っていくと、道の脇に、思いがけず軽自動車が一台、止まっていました。

それを見た時、私は微かな胸騒ぎをおぼえました。

(こんな所に車を止めて、運転手はどこへ行ったのだろう。山菜採り?茸狩り?いや、そのシーズンではない……)

私は、車の持ち主に何か異変が起きていないか、なんとかして確かめたいと思いました。


というのも、
だいぶ昔のことですが…

当時付き合っていた人が、一時期山小屋で働いていたほどの山好きでした。
一緒にドライブに行った帰り、ある登山道の入口に、車が一台止まっていたのです。
彼は「あれ?」と呟くと、迷わず車を止め、懐中電灯を手にその車を確かめに行ったのです。すっかり日も暮れて真っ暗だったので、少し不自然といえば、確かにそうでした。
私もついて行き、二人で車内を覗き込みましたが、特に変わった様子はなく、泊まりがけで登山に入ったのだろう、ということで私たちは再び帰路につきましたが、なんの迷いもない彼の行動に、思わず「いつもそうしているの?」と聞くと、

「もし遭難とか自殺だったら取りかえしがつかないから」

山を下りても、心は山人のままの彼を前にして、さっき、気味が悪いから通り過ぎてしまいたいと内心思っていた自分を恥じたのでした。


その時のことが蘇って、
私は自分の安全が保てる範囲で、この運転手に何か異変が起きていないか、確かめたいと思いました。運転手は無事で、この胸騒ぎが自分の勘違いであることを、確かめたいと思いました。

車に近づいて、車内に変わった様子がないか、運転手の無意識のSOSが発せられてはいないか、注意深く中を覗いてみましたが、特に変わった様子もなく、しっかり鍵もかかっていました。
ではどこへ行ったのだろう?

近くには、獣道ほどの小さい脇道がありました。
覗いてみると、その先は思いの外すぐに開けていて、墓石が幾つか並んでいました。

その一つの前で、男性が屈んでいました。

なんだぁ、あの車は単なる墓参りだったかと安堵した刹那、私は何か、ただならぬ執念とでもいうのか、とにかく男性から感じられる強い気配に圧されて、その光景を見続けていました。

ここは代々の墓地なのでしょう、並んだ墓石にはどれも同じ姓が彫られていました。それなりに栄えたお家柄なのかもしれません。

よく見ると、墓石の一つひとつに、男性が持ってきたのでしょう、あれは何の花なのか、橙色の花が一輪ずつ手向けられていました。

そして、男性は、並んだ墓石の一つに、今にも抱きつきそうなくらいに近づいて、拭いているのか、撫でているのか。

やがて、絞り出すように、

「……母さん!」

私はドキリとして、急いで引き返しました。
泣き出しそうな男性の姿が目に焼き付いて、足早に歩きながら、見てはいけないものを見たと思いました。

けれど、しばらくすると、美しいものを見たような気もしてきました。

私はいったい、何を見たのでしょう。

今では、私が見たのは夢だったかもしれない、本当は何も見なかったのではないか、とさえ思えてくるのです。

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