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涙を流すマリア像の前でうかがったお話

以前、秋田市添川にある修道院、聖体奉仕会を見学したことがあります。
涙を流したというマリア像のあるところです。

きっかけは、ほんの好奇心からでした。父がまだ元気だった頃ですから、もう20年ほど前の事です。

父は時々、秋田市山内にある「丸木橋六兵衛」のお豆腐を買いに行っていました。
その日、私は誘われて共に行ったのです。澄んだ山の景色を見ながら、お店の横で豆乳ソフトクリームを食べるのが父は楽しいらしく、けれど、野郎ひとりではきまりが悪いので、私を誘ったらしいのです。

仁別方面に行く時、添川湯沢台という地域の入り口で、

「聖体奉仕会↑」

の道路表示が現れます。それは何度も目にしていました。
よく知りませんでしたが海外からも巡礼者が訪れていると聞いていました。丸木橋六兵衛のある山内も、仁別の隣なので、その日も表示を見て、どんな所なんだろう、という話になり、ふと思い立ち、修道院の前まで行ってみる事にしたのです。

秋田の聖母像について

秋田の聖母像は秋田市の彫刻家、若狭三郎氏によって1963年に製作されました。
1975年1月4日の朝、この聖母像から涙が流れるという出来事がはじまりました。「落涙」はこの日から連日繰り返されたり日数を置いたりしながら、1981年の9月15日(悲しみの聖母の記念日)まで101回続きました。
涙をぬぐった脱脂綿は後に秋田大学と岐阜大学の法医学教室で鑑定を受け「ヒト体液」と判定されました。

聖体奉仕会ホームページより

行ってみると、聖体奉仕会はまるでお寺のようでした。実際、すぐ近くに仏教寺院が建っていて場所によく馴染み、驚きました。

とりあえず車を止めて外に出てみると、修道院の入り口に、老齢のシスターが椅子に腰掛けていました。
シスターは私たちがまだ車の中にいる時からすでに微笑みかけていて、本当に屈託のない笑顔で「マリア様ですか?ご見学ですか?」。

ジーンズにウインドブレーカー姿、しかも浄土宗の檀家である私たち(笑)は、本当に思いつきで来てしまって戸惑いましたが、誘われるまま「はい」と言いました。
シスターは座ったまま(彼女は足が動かないようでした)、奥にいたシスターを呼んでくださり、そして私たちは中に入ったのです。さっきまで「涙はホントにホンモノか~?」などと吞気だったのですが、急に神妙な気持ちになりました。

思いつきだったわりには、礼拝の時間でなかった事は幸いでした。案内してくださったシスターは、ゆっくりと時間をとってくださり、宮大工によって建てられたこの建物は、地域に溶け込んでくれるようにと、このような姿になっていること。とはいえ、屋根の上や軒に施された装飾は、よく見ると十字架、葡萄、蔦といったキリスト教のモチーフであること。など、説明してくださいました。

そして、

いよいよ拝見した「秋田の聖母」は、仏師の作で予想外に小さく、予想外に何気なく、そこに在りました。
私のイメージするマリア像の優しい表情ではありませんでした。

その顔を眺めながら、シスターはこう話しました。

「涙が本物かどうかは、重要ではないと思うんです。本当に大事なのは、私たち一人ひとりが、それを見て心の中で何を思ったのかです。そう思いませんか?」

ただ頷くしかできませんでした。

好奇や疑問というような私が見ているのとは、全く別の眼差しで、彼女達はこの像を毎日見ているのだと思いました。

そうして私たちは広い庭園を見て、言葉少なに帰ってきました。

何というか、純粋で鋭利な何かを胸に差し込まれてしまったような、そんな思い出なのです。

その後父と、この日の記憶を話題にしたことは一度もなかったのですが、たぶん、私と同じような心境だったと思います。

聖体奉仕会にはマリア像の反対側にヨセフの像、そして聖堂では、大きくありませんが確かイタリア製大理石の、十字架のイエスが見下ろしています。私は皆さんにもこれらの像をぜひ見てほしいな、と思っています。信仰や歴史の話ではなくて、彫像が、博物館や美術館ではなく、本来の目的のままに、人々に使われ愛されている様を、日々の日常空間まるごとに、ありありと見て感じてほしい、そう思います。

見学の際は礼拝の時間をさけるなどは必要です。HPをご確認ください。

聖体奉仕会
https://seitaihoshikai.com/

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