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本を「積んだ」感覚が無い

ふとKindleの本棚を覗くと、そこには26冊もの未読了本が鎮座していた。
中には読了した「はず」のものまで。『ヘルドッグス』なんて映画公開に合わせて読み終えたと思っていたが、冒頭も冒頭で栞が挟まれていた。なんてこった…
『バビロンの大富豪』に至っては、流行に乗ってダウンロードしただけなのが手に取るように分かる。恥ずかしい…!

金カムも絶対読んでるって

なぜ、「この本は読んだ”はず”だ」という感覚に陥ってしまうのか。それは、その書籍の内容が難解だったわけでも、自分の肌感に合わなかったからでもない。単に「積んでいることすら忘れていたから」である。

というより、「積んだ感覚が無い」が正しい。
そもそも、電子書籍は「積まれている」といえるのだろうか?

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本はこれからも読みたいし、一度読了したものもなるだけ手元に置いておきたい。しかし、部屋を圧迫することは避けたい…
そう考えた末、重い腰を上げコロナ禍に電子書籍サービスを利用し始めた。
利用している媒体は、専ら「Kindle unlimited」である。
完全に電子書籍一本に移行したわけではなく、紙で読みたいものは紙の本で読んでいる。

コロナ禍になるまで電子書籍に触れてこなかった理由は、タブレットの液晶を指でスワイプするあの動作が、「本を読む」という行為に達していないと思っていたからである。

文庫本なら両手(あるいは片手)で持ち、ハードカバーなら机に置き、自分が読む速度に合わせてページを手で捲る。あの動作を以て「読書」と成り得るのではなかろうか。
現に、電子書籍を利用し始めたばかりのころは、文字を追うだけで内容が頭に入ってこず「私は一生紙の本を読み続けるしかないのか…」と己のアナログさを嘆いた。

とはいえ、電子書籍を利用し始めてよかった点はふたつある。

一つはやはり部屋のスペースを気にせずに本が読めること。
もう一つは、今まで読んでこなかったジャンルの本とも簡単に出会えることだ。
これまで小説一辺倒だったが、電子書籍(もといKindle unlimited)のおかげで、あまり手に取らなかったビジネス書や実用書にも触れる機会が増えた。
とりわけ、今の私のトレンドが「自分の考えを的確に表現する文章術」と「洋服の制服化」なので、必然的にそれらに関連する書籍が本棚に並ぶ…

そう、「並ぶ」のだ。いまKindleの本棚に鎮座している26冊の未読了本は、積まれているわけではないのだ。動画のサムネイルが如くディスプレイされている。
机の上に高層ビルのように聳え立ち、私の視界を狭めているわけではない。圧迫しているのは端末の容量だが、端末の動作を損なうほどでもない。せいぜい数MB程度である。

積んだ意識がないから忘れていた。どちらかというと「積む」よりかは「放る」に近い。
だから私は積読がこれだけあることに今の今まで気が付かなかった。気になった書籍があれば、ボタン一つで本棚というデータベースに保存できる。それがいとも簡単にできてしまうので、本を「積んでいる」という感覚が生まれなかったのだ。

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自分の本棚を見直す良い機会をいただけた、とてもありがたいお題と出会えた。
積むのは本そのものではなく、それを読むことで得られる知識としたい。



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