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寂びた落書き #2

 幼い頃に訊かれがちな夢という名の将来像。この質問に即答出来た試しがなかった侑司の、自分を情けないとは思いながらも無理をしてまで答える必要などないといった、二面性のある思考原理は今も尚健在で、吹く風や幼子の歩みの如く気まぐれな生活を送っていた彼にとっての仕事というものは、単なる生きて行く為の一つの術や暇潰しという、虚しいツールでしかなく、過ぎ去って行く時間という概念も所詮は事を明らかにする、一つの形式だった座標としか捉える事が出来なかった。
 一般的には朝、日が昇ってから落ちるまでの間に行われる仕事。それを細分化する時間。そこに存する空間が表す様々な事象。この中で一際目立って見える、人間という一事物が為す心身一如の赴き。
 自分もその人間の一人であるくせにこの情景を客観視し、時には上から見下ろしてしまう侑司の、一見尊大ともいえる態度が、他者に与える影響力は如何ばかりであったろうか。
 一人親方として大工職を生業とする彼が、まだ見習いの頃によく言われた事が、三十代も半ばになった今になってようやく開花するべく、その心に悩ましい波紋を落とすのだった。
 建売りの戸建て住宅の建築に追われていた、助っ人として一時的に手伝ってくれていた同世代の職人の男が昼休み中に言った事が、侑司の真っ白な心に一点の傷をつけるのだった。
「侑司よ、お前はほんまに気楽でええなぁ~。何時になったら結婚すんねん? する気ないんか? 相手がおらんだけか? 俺なんか毎日が地獄やど」
 人の人生を干渉しながらも結婚生活が地獄などと愚痴を零す、治という職人の言は正に余計なお世話で、意図が理解出来ない侑司としては儀礼的な愛想笑いでこの場を誤魔化す以外に道はなかった。
「答えんか。ま、そうやろな、親方いうても所詮はしがない大工で、一般人に過ぎひんもんな。サラリーマンみたいにボーナスもないし、日銭暮らしもええとこやでな」 
 器用貧乏である事は否めなくも、その辺の道理を理解した上でこの大工という職についているこの治が謳わんとする本心は、やはり不純に充ちた稚拙で滑稽な邪心であり、深掘りするのも面倒で煩わしいと断じる侑司の不器用極まりない精神構造は、相手である治の意を介さないままに、非力な主観的持論だけを以て言葉を紡ぎ出す。
「何どいや、それやったら大工辞めたらええやんけ、ちゃうか? そやろ? 今更愚痴言うたとこで何も始まらんやろ。小遣い少ないんやったら我が奥さんにカマシ入れたらんかいや。お前も時代に流されて女に媚び売っとんかいやってな」
 治としては全てが自明の事実で、図星であった。図星を突かれた時に往々に変化をする人の情感は、人為的にも自然的な精神の理を表すものなのか。侑司の言を皮肉ととったのか、激昂する事を敢えて憚った治が、目には目をと口にした、
「所帯も持ってへんくせによう言うわ。顎垂れる前にもうちょっとは人生経験を増やしたらんかいや。俺以外に手伝ってくれる奴おるんか? どうせ俺しかおらんのやろ…」
 これも御名答で、流石はと優れた治の弁舌に舌を巻く侑司だった。
 この建築物の一階にある、素早く張られていた床板の明るく乾いた艶が、二人の心に射す光。自らが作っていた弁当箱を、溜息と含み笑いで見下ろす侑司の淋しい面上は、その傍らで見守る治の他意なき澄んだ眼差しとの狭間で、陽炎のようにぼやけていた。床板の面妖な木目も、彼の葛藤や逡巡を物語る自然的な優美で、そう踏まえ、自らを悲観する思慮であろうとも、その先天性のある心が逆流(ぎゃくる)する事はなく、そうかといって治という相手に対して攻撃を仕掛ける訳でもなかった、白黒はっきりつかない心境が、その純然たる思いだけをして身体を動かして行く。
 そしてまた日は沈み、夜闇(やあん)を後ろ盾とする切ない黄昏が、この地上を覆い始めるのだった。

 晩春の穏やかな気候が家族の戯れに明るさで応えていた。週末という土日で象られる休日にも、二つの性質の違いが存在していると考える侑司の、相変わらずの拘り性。
 金曜の終わりから始まり、土曜で完結される恋人達の芝居じみた演技に、ファミリー日という健気で晴れやかな家族の物語。
 今燦然と降り注ぐ柔和な陽射しが家族という一団体を、眩しいほどの光で照射している。光の許にあって尚意気軒高で意気揚々と遊びに興じる、三者からなる家族の仲にも、人間関係など存するのだろうか。
「お母さん、それ取って!」
 父親が蹴ったサッカーボールが幼い息子を通り越して、母親の足許に転がっていく。それを父に先んじて声を発した息子の頼みに応えるべく、
「はーい」
 という軽やかで優しい声でボールを蹴り返す母。
 自分の許に返ってきたボールをまた父に蹴り返す。言葉のキャッチボールとは正にこの事で、一言だけの単なる声掛けが、この三者からなる家族の絆を深め、保っていた。
 如何な公園で遊ぶだけに為された恰好とはいえ、ファッションセンスの欠片も見せない父の姿と比べると、女とはいえ美なる容姿を感じさせる、母である優佳の美意識。
 それは展ずれば奇異な炎を上げる、妖艶な美しさともとれ、惑わす相手が家族以外に何もない現状は、優佳にとっての学芸会のような稚拙な芝居に過ぎず、大人びた環境を求める欲情が色をつけないままに心だけで上げる叫びは、公園の楕円形のぐるりに屹立する緑鮮やかな樹々の、鷹揚で寛容な呼吸に依って、脆くも溶かされて行く。
 度々転がって来るボールを毎度のように母に蹴り返すよう頼む息子の誠也。それをただ黙って見守っている彼の父である和良。この一家にある人間関係の髄であり核ともいえる、一面的には捉える事の出来ないであろう少しばかり歪(ひず)んだ空気感が、まだ六歳である誠也に及ぼす影響力は如何ほどだろうか。
 真っ赤な口紅に、ブラウンに染められた長い髪。ブランドものの鞄を携え、光沢のあるヒールを履き、薄い衣装を身に纏い、細い眉毛で、物事を世の中を冷笑するかのような優佳の、一見夜の街にこそ似合う佇まいが、昼間の公園には場違いな怪しい風を吹かせていた。
 だがその細い眉毛と横に切れ長な眼が見据える、現実社会に対する様々な思いの一つ一つが、何故か広義や狭義といった二元論を超えた多角的で多面的な考察力の許に創られた、比類なき才能を堅持しているようにも思われ、女性ならではの現実的思考と相重なった上での、仏心を模倣する慈悲で、胸を張って毅然と佇む姿には、軽視出来ぬ貫禄というものも内在されていた。
 公園で優に二時間以上も遊んでいた父子の姿を、ベンチに坐ったまあmの状態で眺めていた優佳は、遊びが終わる頃に徐に腰を上げ、決して痛めてはいなかったその腰を左右に廻し、その後深呼吸をするのだった。
 そうして日曜日という休日を謳歌した一家は、二三の買い物をしてから家に帰り、優佳が華麗な手捌きで作った夕食を食べながら、夜の家族団欒を挙行していく。
 相変わらずのように朗らかな様子で会話に終始する父子の様子を、同じ場に居ながら、少し離れた場所から眺める優佳。外に出た事で乾いていたであろう彼女の唇が、今以て濡れ輝いている事は何を意味するのか。必要以上の明るさを放つ部屋の蛍光灯が、尚更それを艶やかに煌めかせる。
 まん丸な瞳であどけない表情で見る母の美貌を、ただ綺麗だと感じる誠也の眼差しに、割って入ろうとする和良の思い。家族であればこそ生じる人間この関係が、たとえば三国志のようなバランスのとれた勢力を維持していると考えるのは、些か大袈裟な思念ながらも、何も考えていないようで実は何かを真剣に考えているような優佳と誠也母子の、内心が透けて見えてしまう和良であった。
 夫婦となってからは十数年が経つこの二人の寝床は、別々に配置されており、何かが物足りなく何かに餓えている感が否めなかった和良は、気まぐれな性格を味方につけた上で、俄かに生じた欲心を訴えるべく、優佳の寝床に足音を殺しながら訪れる。
 軽い寝息さえ立てずに寝返りの一つも打たずに眼だけを閉じいる優佳が、狸寝入りをしている事は言うまでもなかった。そこに姿を現した和良は、これから一体何をしようというのか。
 今日一日で彼と優佳が実際に話をした事はたかだか数回であったろう。それなのに、この期に及んでまだ彼女の顔からは視線をずらし、今一度気持ちをお落ち着かせようと、煙草に火をつける和良。
 既に気付いていただろう優佳が、そのライターの音に敢えて気付いたような芝居で目を開けて、夫である和良にものを言い始める。
「…もうあかんやろ。今更こんなとこに来ても、何も起こらんで。それでもほんまに何かをしたいんやったら、私の眼を正面からはっきり見据えて、挑んでくるこっちゃな」
 そう言われても未だに視線を逸らした状態で、恰好をつけながらひたすら煙草を吸い続ける和良だった。






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