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寂びた落書き #1

 どこか物足りない淡青なだけの空模様が、時間の経過と共に黄色染みた朱に染まり薄暮を経て、やがては黒く暗い闇に落ち着く。
 従える雲の一つもなかったこの日の太陽は、その力や地上に告げる意思を内包させたまま大人しく姿を消してしまったのだろうか。代わりに現れた月や星が悠々と夜空を泳ぎながら放つ白々とした採光が、夜の街に虚飾の雅を授けようとする理の当然。
 そう高を括り、大自然の無限を知ったかぶりで解釈してしまう、人類の一部であり一人の男でもある石川侑司という、至って凡庸な人間が見上げる天は、何時になく澱み汚れ、時としてはあるであろう自然の醜悪さを露呈していた。
 本来ならば好きな黄昏時にこの地元の港を訪れたかった彼が仕事の影響で遅れた事は、却って夜の静寂な怖さを体験する功となったのか。災い転じて福と為すといえば大仰ながらも、頬を掠める細風や地面を辷る朽ち果てた木の葉、岸辺を舐めるだけの脆弱な波がその殺風景な空間的情景とは裏腹に、静的な力感を漂わせながら、彼の平坦な心の深層部に一点の灯をつける。
 穏やかな環境がその灯を変化させる事はなかった。勢いが増す訳でもなし、消え去る訳でもない蝋燭の火のような灯が、何時まで持つかは彼の気持ち次第で、少なくとも今瞬時に消そうとは思わなかった彼の刹那的情動は、可もなく不可もない己が歩んで来た、現実という人生の歴史にて極めて非力ながらも唯一無二な矜持として、この海に咆哮する。
「ゴラァァァーーー! ええ加減せんとただで済ませへんど! 何時までカッコつけとんどいやゴラァァァーーー!」
 これは含羞を含めた決して他言出来ない、彼の内なる咆哮であり、昔好んで聴いていたTMNの『独りで居る時さえも叫ぶ事も出来ない』といった曲の一節に触発された、魂の叫びでもあった。
 心の内を曝け出した事に依って真にスッキリしたとは断言出来ない。でも何かが弾けた手応えは一応感じ、人の気配がほとんど感じられないこの夜の海辺にあってわざとらしく胸を張って、威風堂々とした少しばかり肩で風を斬るような出で立ちで海に別れを告げて、家に戻って行く侑司。己が背丈と同等の擁壁沿いにある道路にも、無遠慮に挑みかかろうとする彼の虚栄心が、僅かに走っていた車の運転手と自らの顔を歪ませる。
 天も笑ってくれているだろうか。いや、笑ってくれているに違いない。天や自然、神々というものは何時如何なる時も、その崇高な慧眼で衆生の営みを俯瞰し、微笑んでくれているのだ。でなければこの世の秩序は保たれなく、他者に対する憧憬も生まれないのではあるまいか。
 どうあっても事を大袈裟に捉えてしまう彼の潔癖なほどの拘りが、その為人を偏執的に形成し、それこそが誇るべき気高さなのだという自負心を植え付けてしまう。
 傲岸不遜な思いを持したまま飲む酒に味は無かった。ウィスキーの少し強い芳醇な香りがやけに身に沁みる。余りあてを欲しない性格も尚更心への深い浸透力を酒に持たすものか。一口毎に如何にも芝居じみた演出で、目を見開いて見る窓外の景色は、先程までの憂愁を遺却するような艶のある漆黒に染まり、いつの間にか天空高く浮かび上がった上弦の月は、異彩にも眩い一筋の閃光て部屋に差し込み、神経質な侑司の眼を惑わせる。
 このような時にこそ生まれそうな詩や俳句を創ろうとするも、その浅学菲才で語彙力や感受性にも乏しかった彼の中からは、どうしても出て来ない。でも何かを謡いたい。このままただ酒(ささ)を飲み続けているだけでは、情緒に欠ける。酒が勿体ないぐらいだ。
「あぁ~、出てくれたんか、有難うな」
 思わず掛けた電話に即刻出てくれた、侑司にとっては希少価値のある、旧友の康政。
 とはいってもしょっちゅう連絡をとっているこの二者の間に、そこまでの深い感慨があったかどうかは解らない。もしかすると互いに利用し合っているだけかもしれない。こういった裏をかいてしまうのも、人間生命に先天的に備わった愚かな慣習の一つであろうか。
「何や、どないしたんや? えらい元気やんけ」
「あぁ~、俺らは何時も元気やからな」
 定番ともいえる言葉で始まった二人の会話は、どこの落としどころを持って行くかが鍵で、今日に限っては予めオチを用意していなかった侑司の、些か震える口先が、様にならない白刃の切先で、諸刃の効力を以て自らの身体を切り裂こうとする。
「何かあったんやな。言わんでも解るわ。…お前も役者やでな、何でもええから言うたらんかいや、思った通りに行動したらんかいや、な!」
 先んじて答えを出して来た康政に返す言葉は無いに等しい。だが自分から電話をしてしまったという手前、何かを言わなければ恰好がつかない。
「夜の海も結構乙なもんやな。さっき行って来てんけど良かったわ」
「鴎が鳴いとったやろ?」
「おう、雀も鳩もな」
「白鳥やったらあかんのかい?」
「アヒルやったらええけどな」
「何でやねん」
 なかなか本題に入る事が出来ない二者の語らいが、上辺だけの下らない冗談だけで済まされて行くよう匂いを醸し出していた。こうなれば腹を割ってこ難しい話をする事など不可能であろう。
「まぁ~。ええわ。そのうちお前も壁にぶち当たる事になるやろ。今のうちに余裕カマしとったらええわ。俺はもうちょっと考えて寝るわ、ちゃうか、そやろ?」
「何が言いたいんどいや? もっと論点整理してから電話して来い。付き合いようもないんやー言うねん」
 会社での会議や国会での議論でもあるまいしと、論点整理などという言葉が無性に侑司の胸を打ったのだった。それも自分以上に知性に欠けるであろう康政からそのような言葉を告げられるとは正に汗顔の至りで、電話を切った後でも残る羞恥心が、旧友の情を超えてまでその心を動揺させる。
 もはや横になった姿で確かめられる月の姿はなかった。身を起こしてまでそれを眺めに行く気にもなれない。元々寝つきの悪かった侑司は、今こそが眠りに就く千載一遇の好機と歯も磨かずに、そのままの状態で目を閉じて行く。今宵観られるかもしれない、安らかで理に適った、自分が思い描いていたイマジネーションを具象化するような、ドラマチックで映画的な、そして絵画的でもある、幽玄な夢の世界に誘(いざな)われる事を願いながら。



文学賞への応募がひと段落しましたので、また改めてブログに舞い戻って来ました。
拙い文章ですが、宜しくお願いします^^

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