授業中や会議中の居眠りはむしろ推進されるべし

まだ学生だった頃、授業中、猛烈に眠くなることがあった。

社会人の現在、会議中に猛烈に眠くなることがある。何なら、少人数での打ち合わせや面談中にも落ちそうになることがある。

いつまで経っても、「本来寝てはいけないとされている場面」程、眠くなり、落ちそうになり、たまに落ちる。
それは、僕だけではないはずだ(ですよね?別に普通ですよね?・・・)。

だけど、僕としては、こういう時に居眠りを我慢するのは極めて非生産的だと思うのだ。

いつ襲ってくるか分からない猛烈な眠気

よく眠くなる時間として言われているのが、昼ご飯を食べた後の時間帯。
昼食後の授業なんかは、寝落ち者が続出する時間である。

だけど、実際、いつ眠気に襲われるのかは分からないところがあって、午前、午後、夜の時間を問わず、授業、会議、打ち合わせ等の人の話を聞いている時、何かの映像を見ている時、要するに、こちらが受動的に情報を受けている時は、時間を問わず、猛烈な眠気が襲ってくることがある。

しかも、これは、前の日の夜、睡眠時間が足りていてもあまり関係が無い。
どんなに好調でも、眠気は突如、襲ってくる。

やる気、興味が無いから眠くなるのではない

居眠りを咎められる時のフレーズとして、よく、「お前はやる気がないからだ」とか「興味を持ってないからだ」等と言われることがある。

だけど、これについて、僕は極めて疑問に思っていて、少なくとも僕は、好きなことでも割と関係なく眠くなってしまう。

サッカー観に埼スタに行った時に寝てしまったこともあったし(まあ、これは試合が退屈だったのもある・・)、衝撃だったのは、長年ずっと行きたかったミスチルのライブに行った時に、ちょっと眠くなりそうな感じになったなんてこともある(これは断じてミスチルのせいではない)。

この、睡魔のスイッチというのは、どうしようもないものだと思っていて、いつくるか本当に分からない。

解決策は、「落ちる」しかない

さて、この眠気、何か乗り切れる策はあるのか。

 気合を入れる→無理。気合いでは乗り切れない
 ひたすらつねる→全く眠気は飛ばない
 一回その場を離れて身体を動かす→戻ったら再び睡魔
 水で顔を洗う→戻ったら再び睡魔

僕も色々試したが、効いたものは一つもない。

ただ一つ、100パーセント解消される方法がある。

それは、「落ちる」ことだ。要するに居眠り。

居眠り後のハイパフォーマンス

自分の中で色々な戦いを経た後、結局は、カクっと落ちてしまうことがある。

その後、ちょっと意識を失って、「ハッ!」と醒めた時、そこには全く別の世界が待っている。

澄み切った視界、外界のあらゆる光が頭の中に降り注いでくる感じ、さっきまであった頭の中の老廃物が全て排出されたかのような爽快感。

もう脳細胞が完全に蘇っているのが分かる。

この目覚めは、朝の目覚め等と比較にならない程気持ちよく、活力に満ちている。
授業中であれば、その後の授業は全て頭に入ってくる。

どう考えても、居眠りした方が合理的

仮に、60分の授業や会議があったとして、眠くなる時って、だいたい開始10分ぐらい兆候が出てくる。

じわりじわりと睡魔の魔の手が脳に忍び寄ってくるのが分かる。

その後、眠くなってきて、だんだんペン先からメモされる文字がミミズになり、視界が狭まってくる。頭の中がどんどん白くなっていく。

もうそうなったら、自分が外界からインプットできることは無い。
ただただ、「寝てはいけない」と自分と闘うだけの時間である。
もし寝ないならば。

そして、もし寝ないならば、睡魔と戦っている時間のインプットはゼロである。
壮大なる時間の無駄である。

一方、寝てしまったらどうか。

既に、書いたように、頭は完全に蘇る。
その後のインプットは、睡魔が襲ってくる前の通常時を遥に超えた、絶好調時の頭で行うことができる。

そして、この寝てしまう、落ちてしまう時間は、数分で良い。数分だけ意識を失えば、それだけで大復活するのだ。

だから、どう考えても、眠くなったら一回居眠りして復活する方が合理的なのである。

こういうわけで、僕は、一般的に居眠りNGみたいな場であっても、極力、居眠ってしまおうという姿勢で、中学生ぐらいからやってきた。

「居眠りがダメ」なのはどうしてか

そもそも、どうして、居眠りがダメなのか。

例えば、バスの運転手が運転中に居眠りをしてしまって事故を起こしてしまった、これはダメだろう、と思える。
それは、居眠りが大事故につながるからだ。

だけど、授業中や会議中に誰かが居眠りしたからといって、誰か死ぬわけもないし、健康を害するわけでもない。というか、誰も迷惑にはならないだろう。よほど大きいいびきとかかいていなければ。

これは、つまるところ、授業で言えば、授業をしている先生、会議中であれば会議を仕切っている人や話している人、彼らに失礼だ、気持ちを害する、ということなのだと思う。

そう、ほとんどの居眠りNGの理由は、「お気持ち配慮」なのだ。

話し手の「お気持ち配慮」はそんなに大事か?

社会的コンセンサスとして、相手が話しているときに眠ってしまうのは、相手に失礼だ、ダメなことだ、というのはあると思う。

だからこそ、基本的に、みんなが集まっている場での居眠りはダメとされるのだろう。

でも、よく考えると、そんな相手のお気持ち如きより、情報の受け手の頭がフレッシュになることの方がよほど大事だと思うし、お気持ちのために、その後の時間を全て無駄にしてしまうのは極めて非合理的だ。

しかも、体感的に、眠い時に、その眠気を我慢して、眠気と戦うのは明らかに健康に悪い。
これはアルツハイマーの元になる、なんて話もある。

「眠いのに眠気を我慢する」ことの社会的損失は莫大である

結局、眠気を我慢することは、おそらく健康に良くない上に、その後の活動時間のかなりを無駄にしてしまう。

そして、これは、授業中や会議中の居眠りに限らず、例えば、デスクワークをしている時の眠気の我慢にも言えることだろう。

まして、さっき例に出したバスの運転手の人などは、我慢することが多数の命の損失につながってしまう。

眠気を我慢して無理をすることに、いいことは一つも無いのに、眠いのは我慢するべきで、むしろ、日中は眠くならないように体調管理をしっかりしろ、みたいな社会規範が、ますます、この損失を拡大している。

睡眠をコントロールできるという発想を捨てよう

居眠りがダメなことだ、ということが何となく社会的に共有されている前提として、既に述べた「お気持ち配慮」の問題以外に、前の晩よく寝ていれば眠くなるはずがない、つまり「整えるべき体調管理の問題」という捉え方がありそうだ。

でも、僕の場合、いくら寝ても日中眠くなるし、そもそも、子供の頃から寝つきが悪くて、早起きした日でも夜全然眠れない、みたいなことも結構ある。
ストレスで眠れない日々を過ごしている人もいるだろう。

つまり、自分の睡眠時間をコントロールするのって、案外難しいはずで、僕に至っては、まず無理。

なぜか、世の中のおそらく一部しかいないであろう、睡眠の質がよく、寝つきがよく、睡眠時間をたっぷり取れる生活をしているであろう圧倒的健康人みたいな人を基準にされているのが不思議である。

そもそも、睡眠リズムも人によって違うのだし、もう、基本的に自分の睡眠をコントロールする、という発想から離れて、「眠くなったら寝る。ゴメンね」ということでお互い様にしようよ、ということを強く訴えたい。

眠い時に眠れる国へ

僕は、眠いのに寝ることに引け目を感じるが故に居眠りせず、生産性を下げ、社会を危険に晒している現状を憂いている。

社会の生産性向上、安全、何より僕がもっと気楽に居眠りできる社会にするために、みんな眠くなったら強気で寝るのだ。(まあ眠い時に強気にはなれないが・・)

脱・居眠りNG社会へ!

こういう系統の公約を掲げた政治団体があったら、僕は一票を投じるし、議席をとった暁には、国会中継で堂々と居眠りして、世の価値観を変えてくれ!

誰もやらないなら、僕がやる。

政党名は、「眠主党」とでもしよう。

政治資金がいるから、お金をくれ。約束する。寝る間も惜しんで働く。

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