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口やかましい妻は結婚の墓穴を掘り続けている

若い頃は相手の悪い所を言ってあげるのが優しさだと勘違いしていたタケシです。

皆さんは家庭や職場で不満がある時、それを指摘しますか?
僕は若い頃は何でも指摘してしまい失敗しました。

人を動かすの『幸福な家庭をつくる七原則〜口やかましくいわない』の章には口やかましい妻によって人生がメチャクチャになった3人の偉人が紹介されています。(妻の話を書いていますが、逆の夫によるモラハラも最近は多いかもしれません。)

一人目はフランス最後の皇帝ナポレオン三世(ナポレオンの甥)
彼は周囲の反対を押し切って絶世の美女マリー・ユージェニーを妻に迎えた。


ナポレオン三世夫妻は健康、富、権力、名誉、美、愛情など、ロマンスとして必要な全ての条件を兼ね備えていた。
ところが、悲しいかな、いくばくもなくして、灼熱の愛情も輝きを失い、あとには、苦々しい後悔だけが残った。
全フランスの何ものをもってしても、たとえ彼の愛情、皇帝の権力をもってしても、彼女の口やかましさを防ぐことはできなかった。
嫉妬と猜疑心にとりつかれた彼女は、
国政の重要な会議の席に乗りこんできて邪魔をする。
片時も監視の目を話さない。
姉のもとにかけつけて夫の悪口をいい、泣いたりわめいたりすることもたびたびあった。
彼の書斎に踏みこんできて、口ぎたなくののしるのはいつものことだった。
豪華な宮殿をいくつも持ちながら、彼には心の休まる場所はどこにもなかった。
ユージェニーは、こんなに夫を口やかましく責め立てて、それでいったい、何を得ただろうか?
世にもまれな愛情を窒息させ、みずから不幸を招いただけである。

二人目は帝政ロシアの小説家レフ・トルストイ(『戦争と平和』、『アンナ・カレーニア』、『イワンの馬鹿』などの作者)


1910年11月のある雪の夜、82歳のトルストイは、家庭の不和に堪えかね、あてどもなく家を出てしまった。…11日後、彼は、ある停車場で息を引き取った。死にぎわの願いは、夫人を絶対に近づけてくれるなということであった。

トルストイ夫人は臨終の枕辺に娘たちを招いて、次のような告白をした…
「おまえたちのお父さまが亡くなったのは、わたしのせいでした。」
娘たちは何もいわなかった。母の告白のとおりだと思ったのである。
母の絶え間ない不平、避難、口やかましさが、父を死に追いやったことを娘たちはよく知っていた。
彼女にしてみれば、不平を言うだけの理由は、十分にあったのだろう。
だが、問題は、その不平をぶちまけることによって、彼女はどれだけの利益を得たかということだ。事態はそのために、ますます悪化したのではなかったか?

これだけを見ると、『トルストイの妻は酷い悪妻だった』と感じますし、『世界三大悪妻』に数えられることもあります。
ですが、トルストイには子供が十数人いたこと、トルストイが宗教や社会活動に傾倒して家庭をかえりみなかった事を考えると複雑な気持ちになります。
それでも、口うるさくいう事は何も事態を好転しなかったことは明らかです。

三人目は第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンです。
『人を動かす』には何度もリンカーンの話が出てきます。僕はすっかりリンカーンが大好きになってしまいました(笑)

エイブラハム・リンカーンの生涯を悲劇的にしたのも、やはり結婚であった。
彼が暗殺されたことは、彼の結婚にくらべれば、悲劇というに足りない。
リンカーン夫人は世にもまれな口やかましい女で、四分の一世紀のあいだ、リンカーンを痛めつけとおしたのだ。
彼女は年中、夫に不平や避難をあびせた。彼女によるとリンカーンには良いところがひとつもない。
猫背で歩き方もなっていない。インディアンそっくりだ。耳の恰好や顔の道具立ても気に入らない。

リンカーン研究の権威者、上院議員アルバート・ビヴァレッジは次のように言う…
「夫人のわめき声は通りの向こうまで聞こえ、絶え間なく近所中にひびきわたっていた。乱暴を働くことも、しばしばあった。」

ある朝、リンカーン夫妻は食堂で朝食をとっていたが、リンカーン夫人がいきなり怒りだした。原因は今ではだれにも分からないが、とにかく、彼女は腹立ちまぎれに、飲みかけの熱いコーヒーを夫の顔にぶっかけた。ほかの下宿人たちの面前でそれをやったのである。

リンカーンは弁護士として春に3カ月、秋に3カ月の間、各地の巡回法廷をめぐっていた。
他の弁護士は土曜日になると家に帰っていたがリンカーンは帰らなかった。
家へ帰るのがおそろしかったのだ。
この状態が何年も続いた。
いなかの木賃宿の生活はみじめだった。
だが、それがどんなにみじめでも、家で夫人の小言を聞いたり、かんしゃくを起こされたりしているよりはましだった。

3人の夫人は、口やかましい小言の結果、彼女らの障害に悲劇をもたらしただけだった。
いちばんたいせつなものを全部破壊してしまったのだ。

これらを読んでいて、僕は昔の自分を思い出して恥ずかしくなります。
うるさく小言を言っていたつもりはないのですが、相手を追い詰めていたという点ではいっしょでした。

僕は『相手が謝れば快く許す。』というスタンスなのですが素直に謝る人はそう多くありません。
結果、相手が謝るまで追い詰める形になってしまいます。でも、相手は謝らないので何も解決しません。
そんな僕に周りの人は「相手に逃げ道を用意してあげなきゃダメだ。完璧に攻めすぎる。」と僕にアドバイスをくれます。

でも、僕にしてみれば常に『謝れば快く許すという逃げ道を用意している。』と思っていました。
まあ、僕が『何を言っても許さない!』という雰囲気を醸し出していたり、怒った僕の威圧感が自分で思うより5倍くらい強烈である事に気づいていなかったんですけど…😥

そんな僕ですから若い頃は家庭でも失敗していたと今では思っています。
妻が謝るかわりにさめざめと泣く姿は心が痛かったです…。
今は口うるさく言いません。相手を非難しても何も良いことはないお互いに嫌な気分になるだけなので😔

今では、家庭でも仕事でも『相手に気づかせる』ことを目標に軽い指摘や助言にとどめるようにしています。
自分が間違えた時はすばやく謝ります!
まずは自分がお手本になれるように😉

最近、3歳の娘は僕に似ているんじゃないかと思う事があります。
「はい」以外の返事をすると、「『はい』は?」と問い詰められ、娘が悪いと感じる出来事があると「『ごめんなさい』は?」と責められます。
素直に返事をすると「いいよ」と許してくれます。
僕の小さな分身を見ている気分です。(僕よりもだいぶ厳しいように感じますが…)

まだ3歳ですが末恐ろしいですね。
娘が口うるささで不幸にならないように導く事を心に誓うタケシでした。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

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