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冷水シャワーと焼酎

こんにちは、研究員の冨永です。

唐突ですが、朝晩の冷水シャワーを
習慣にして1年半になります。
今は夜の冷水シャワーを浴びてから
この記事を書き始めています。

何で冷水シャワーのことから書き出そうかと思ったかというと
書き始める前に、先週の田中さんの記事を読んで
そこに「5am」「前向きな楽しい朝」
という文字を見つけたからだと思います。
こんな感じで、僕は文章を書き始める時
身近にあるモノゴトから何かが連想されていることが多いです。

なぜ朝晩の冷水シャワーを習慣にしたのか
はっきりしたことはもはや覚えていないのですが
はっきり覚えているのは、始めたての頃の強烈な冷たさです。
もう、それはそれは、あまりに冷たくて「心臓止まる!」と思うくらいに。
ですから、シャワーを浴び始める時には、足の指先から
ソロリソロリと冷水を掛け始めて徐々に上半身へ
そして最後に、目を瞑って覚悟を決めて頭へ、という感じでした。

それから1年半が経過した今では
何の覚悟も必要なく、無造作に頭からジャーっと
冷水を浴びることができています。

自分の中にどんな変化が起きているのか振り返ってみると
どうやら、「冷水への恐れ」が冷たさを増していたようです。
冷水シャワーなんて滅多に浴びたことがなかった当時の僕は
冷水を実際以上に冷たいものだと思っていたフシがあります。
その思い込みが、ビクビクとした恐れを生み
それが心身を固くこわばらせていました。
それはもう、冷水を浴びる前から「ぎゃーっ」と冷たがる準備が
出来上がっているようなものです。

何度も冷水を浴びているうちに
冷たさの程度も、冷たく感じるのは最初だけということも
だんだんわかってきて、恐れが和らいでいきました。
恐れなくなると、体がほぐれて、なんというか
冷水をやわらかく受け止められるような感じになります。
こうなるともはや、冷水シャワーは快感です。
朝晩の儀式として欠かせないものになりました。

この話を無理やり一般化すると
予断や恐れで固くなった心身は、現実を受け止める力が弱い、とか
あるいは、現実を楽しみ損ねる、ということになりましょうか。

これは人間関係にも言えそうです。
相手の肩書きや経歴に圧倒されて予断を持ってしまうと
その人そのものを見誤って、距離をとってしまい
築けたはずの豊かな関係を築き損ねる、ということになりかねないと思います。

田中さんの記事を読んでのインスピレーションで書き始めた今日の記事は
冷水シャワーの体験をへて、また田中さんの記事へと接近していきました。
さてさて、焼酎飲もう。これも大切な儀式です。

冨永良史(Safeology研究所研究員/発創デザイン研究室代表)

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