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自給自足と安心

昔から自給自足に憧れていました。Safeology研究所の山川です。

前回のnoteでは森田さんが「暮らし」と安心について書かれていました。それを読みながら私の中で連想されたのが、このコトです。

私が子供の頃、野菜は家に続く畑でつくっていました。米も中学校までは田んぼがあったので食べていたのは自家製でした。また、庭に鶏小屋があり卵は毎日そこから取ってきていましたし、たまに隣にある肉屋さんに鶏を持っていき、それが鶏肉になって戻ってきていました。

お風呂は五右衛門風呂で、父が建築関係の仕事だったので、建築廃材は豊富にあり、それでお風呂を焚いていました。トイレとお風呂は別棟にあり、トイレの排泄物はしばらく甕(カメ)にため発酵させた後、畑の肥料になっていました。

さすがに調理はプロパンを使っていましたが、タタキがあるお勝手には竈(へっつい)もあり、お湯などはそちらで沸かしたりしていました。

こう書いていくと、今の生活からなんて離れているんだろうという気になりますが、たぶん日本の昭和30年代(今から60~70年前)まではそういった生活が当たり前だったように思います。

そういう過去もあり、自給自足への憧れが生まれたのかと思います。

現在、自給自足とは言い難い生活ですが、それでも暖房器具として薪ストーブを使い、野菜を育てるため近くの畑を借りています。薪ストーブは2000年の冬から使っているので、もう今年で四半世紀たってしまいました。生活のためのエネルギーは太陽光発電などを除きほとんど自給することはできません。その点、薪は自給できる数少ないエネルギー源です。

薪をつくるには、(1)木を切り倒す。(2)切り倒した木を40cmくらいに玉切りして持ち帰る。(3)玉切りした丸太を家で薪割りする。(4)割った薪を棚に並べて半年から1年程度乾燥させる。という工程が必要で、かなり手間暇がかかります。それでも、一冬を越せる程度の薪を棚に並べ終わると、思わずニヤついてしまっている自分に気が付き、はたからみたら「変なおじさん」にしか映らないだろうな、なんて思ったりしています。

畑の方は昨年の春から始めたので、まだ試行錯誤の段階ですが、子どもの頃、畑を耕したりする作業は手伝っていたので、なんとなくやり方は覚えています。まあでも、野菜が上手く育たなかったり、うまく育っても、カラスやサルなどに収穫前に食べられたりと、いろいろと苦労しています。

薪ストーブも畑も手間暇がかかり、効率を考えれば割に合わず、お金をだせばそれに相当するものや快適さはすぐに手に入ります。でも、少しでも自分の生活に必要なものを自給できているという手ごたえや喜びは大きいものがあります。

もちろん、薪ストーブや畑を忙しい現役の方が誰でもできるとは思いませんが、自分の生活を自分に取り戻すという点では、できることもあるかもしれないなとボーと考えたりしています。そしてそのことが、自分の安心につながるのではないかなということも。

                 文/山川 修(Safeology研究所代表)

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