短編•第九話【創作】
専門学校時代の知人である内海君から聞いた話。
内海君は専門学校を卒業した後、コロナ禍による就職難で内定先が決まらず、地元の鹿児島県霧島市の隼人町へ帰省した。
実家に帰ってからはアルバイトをしながら、家業である稲作の手伝いも兼用して行っている。といっても両親からは、あまり農作業に向いていないと思われているらしい。そのためトラクターに乗ったりといったことはせずに、米の精米などの比較的簡単な仕事を任されることが殆どだという。
「今年のつい最近のことだったと思う。自宅近くのコイン精米所へ行って玄米30キロを精米するまで待ってたらさ、杖をついたお爺さんが窓の外から俺を見ていたんだ。」
灰色の作業着に長靴、首にタオルを巻いて紺色のキャップを被っている。いかにも農家のお爺さんという見た目。
といっても、杖を頼りに足を震わせながら立っていたので内海君は心配になって声をかけた。認知症で徘徊している可能性だってある。
「あいがともさげもす(※1)。精米機見さ来たんだけんど、歳のせぇかここまで来ただけでだるく(※2)なっちまったで。」
※1 - 鹿児島弁で「ありがとう」
※2 - 鹿児島弁で「疲れて」
何でもお爺さんはこの精米機の管理者らしく、定期的にふらっとやって来ては精米機の様子をチェックしに来ているそう。チェックとはいっても、お客さんが利用してきちんと作動しているかどうかの簡単な確認で、業者のように工具を用いて分解するといった本格的な点検作業はしていない。
とりあえず、お爺さんが痴呆で徘徊しているわけではないので一安心した。
「無事精米が完了して、俺はお爺さんに自販機で買った甘酒を奢って家まで車で送ってくことにしたんだ。杖持ってフラフラの状態だったから不安だったしね。でも、お爺さんの家ってのが奇妙でさ。」
民家が一軒もない山の中。お爺さんの家はそこら辺にあるらしく、近くまでやってくると
「後はだいじょっ(※3)ばい。」
※3 - 鹿児島弁で「大丈夫」
と言ってフラフラと砂利道を歩いて行った。
心配になって何度も「一緒に行きます」と言ったがお爺さんは「だいじょっばい」と聞かなかったので、内海君はそのまま家に帰った。
「話は変わるんだけど、俺の地元には田の神さぁっていう民間信仰があるんだよ。」
田の神さぁとは日本における農耕神である。稲作の豊凶を見守り、稲作の豊穣をもたらすとされている。その姿は東日本では七福神の恵比寿様。西日本、ひいては内海君の地元である九州地方では大黒様の姿をしているそうだ。
内海君の地元のあちこちには田の神さぁの石像が建てられている。春になると人里に降りて『田の神』となり、秋になると山へ登って『山の神』になる。
この春と秋の年に2回(2月と11月)に、豊作祈願と村の親睦会も兼ねた『田の神講(たのかんこ)』が行われる。余談であるが、内海君曰くこの田の神講は現在ではあまり見られなくなったという。
蕎麦や握り飯を藁づとに入れたものを田の神像にたすきがけにつけ、眉墨や紅などで化粧を施す。おめかしをした田の神の像床間に据えて宴会を開き、終わると次の座元へ田の神像が運ばれていく。結婚式場や新婚夫婦の新居に運び込むこともあるのだそう。
「その田の神像、俺の実家の近くにもあるんだよね。とても可愛らしい見た目をしてるんだけど、お爺さんを送った翌日にあるものが供えられているのを見たんだよ。」
あるものとは、何なのか?
「甘酒の空き缶が置いてあった。見た目からして新しかったから、最近誰かが飲んだやつだったと思う。それに、田の神像の口から微かに甘い香りがしたんだよ。」
2024年の秋にさしかかろうとしている現在。新米の収穫が始まってはいるが鹿児島も米不足の煽りを受けていると、内海君はぼそっと溢した。それに伴って全国の田の神さぁたちも弱りつつあるのかもしれない。