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『フランケンシュタイン』(メアリー・シェリー)がつくったものは。

HAKOMACHI 18/31冊目

こんばんは、せいたです。
神保町の棚貸し本屋で1ヶ月限定の棚主をやっています。
本日は、誰もが知っている有名キャラクターの元になった作品を紹介します。

その人の物語がその人になる現象

子供の頃、おじいちゃんやおばあちゃんに言われて、モヤモヤしたこと。
「あれが、ワンピースかい?」
テレビに映る「ルフィ」をみて、そう口走る大人。
「違うよ、ルフィだよ。」
「じゃあ、彼は主人公じゃないんだな」
「いや、違うよ、主人公だよ」
「でもアニメの名前はワンピースじゃないか」
はぁ。
あのな。
大人よ。
すべてのアニメが、「ドラえもん」みたいな構造のタイトルじゃないんだよ。
たしかに、あなたたちがイメージしやすい、
「ちびまる子ちゃん」
「サザエさん」
「仮面ライダー」
「ウルトラマン」
とかは、それでいいのは分かる。

でもさ、小説とかって
「吾輩は猫である」
「銀河鉄道の夜」
「人間失格」
というタイトルで登場人物の名前は出てこない。

つまりさ、子供の見るもの、みたいに括ってたりするんじゃないの?
子供が見るものは、主人公の名前そのままタイトルですよ、みたいな。

本作にも同じ現象が起きています。
フランケンシュタイン、というとハロウィンにでてくる醜い姿をした化け物を想像する人がいるが、これは誤解です。
フランケンシュタインは、実験によって人工的に生物を作り出してしまった科学者自身の名前で、化け物はその彼が生み出した生命体のこと。
「ゼルダの伝説」で主人公がリンク、みたいなタイトルのつくり方なわけです。

大学時代に仲の良かった人がこういう点にすごい厳しい人で、僕にはすごく刷り込まれているのですが。僕は単純にこういった勘違いが進行して文化になっていくこと、面白いと思います。
ステープラーのメーカー・ホッチキスが有名になりすぎて、それが商品名を者の名前と思っている人がいるように、最初は間違いや思い込みだったとしても、多くの人がそれを信じ、それに慣れてしまうとそれは常識になり、歴史になった時に事実とされてしまう。
正しい、正しくないには意味がなくて、その時に多くの人がどう判断するか、が社会の常識をつくります。だからこそ、自分がどう感じているか、どう思うか、どうしたいかを僕は大事にしたいな、と思うのです。

『フランケンシュタイン」メアリー・シェリー

何を扱いたかったのか?

生命を人の手で作り出すことがタブーとされる時代にそれを犯すとこんなことがありますよ、と警告している。それは十分あり得ると思いました。
宗教との兼ね合いもありますし、「人間が神を気取るのか」的な批判が出ることも想像が付きます。
では、僕らが現代にこの作品を読んで考えることは何か。

改めて、本当に共存ってできないのかな、そして、改めてなんでそれはタブーなの?という点だと思うのです。
まず、共存についてですが、現に僕たちはフランケンシュタインが生み出したようなものをすでに生み出しています。
例えば、車。
使い方を誤れば、人を危険に晒すことがありますが、この移動手段なしで現代人はもう生活できないでしょう。
もっと言えば、原子力。
これは、人間が太陽をつくってしまったことを証明する事実。
使い方を間違えれば、人類の滅亡を招きかねないリスクを背負いながらも、その力による発電に私たちは頼っています。

そして最近の面白い例でいえばAI。
AIに仕事をとられる、という話もよく出ますが、まさにフランケンシュタインと同じような境遇に現代人も直面しつつあるな、と思うのです。
AIができることをやってもらい、私たちは私たちの強みを生かす。そんな共生を折角なら実現させたい。AIは僕たちを脅かす存在ではなく、共に発展していく仲間であると、これから作り出していく僕たちがマインドセットしたいな、と。

「怪物」が欲しかったもの

「怪物」がフランケンシュタインに願ったもの、それは伴侶となるような、もう一対の個体の存在でした。
これは当然といえば当然です。キリスト教の神も、アダムが1人で寂しくないように、彼の体から肉の一部を取って、それをもとにイブをつくったように。

なぜなのか。
怪物はアウトプットやインプットの元のようなものを求めたのではないでしょうか。
こどもは、母を通じて世界に接していきます。この怪物にも、自分のインプット元であり、アウトプット先が必要だった。

AIは意志を持った時に伴侶を求めるのでしょうか。
いずれにせよ、生み出す子どもたちを怪物にするか、神にするかは、親である人間次第だな、と感じさせる読書でした。



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