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自己紹介の話 志望大学選び


あらすじ

小・中・高を飛ばして、大学受験の話を書いていきます。

順序立てて物事を進めることは基本的に大事ですけど、簡単ではないですね。
スターウォーズのようなサーガ作品は、作者が思いついた順に発表しているんではないだろうか、と思ってしまうくらいですね笑

毎日書くことを継続することと、思いついたアイデアはアウトプットすることでその先も出てくると信じているので、感じたこと、思いついたことから記していきます。

書こうとしたきっかけ

そもそもなんで書くのか、毎回ここに時間を割きますが、ご容赦ください。
人間何事もきっかけがあって、自分自身が誰かの素晴らしい行動のきっかけになったら素敵だなと思うので、僕にきっかけをくれた方への感謝のためにも書いていきます。

まず、1ヶ月前くらいから私はOJTトレーナーをしています。簡単にいうと、新入社員の教育係です。
社会人2年目から計3回担当していますが、毎回新しい気づきがあり、ありがたい機会をいただいたことに感謝しています。
今日は、そんな新入社員の彼と長く話す機会があり、お互い、「なんでその大学にしたのか。」などを話したことがきっかけで、受験のことを思い出したので、書いていきます。
ここで一つ、新卒くんありがとう。

幼い頃から志望大学は決まっていた?

実は、小学生の頃から、僕は行きたい大学が決まっていました。
国立市に生まれ育った僕は、国立にある国立大学、一橋大学に通うのだと、思っていました。志望するというよりは、そういうものなんだろうなと、小学校と同じように、大学も学区内に通うんだろうな、くらいに思っていました。

仙台に住んでいた頃、(保育園年中で東京から仙台に引っ越します。)小学生になり、成績が割とよく、中学受験で東京の学校に戻ることが決まっていた僕は、よくクラスメイトから「東大に行くんでしょ」ともてはやされましたが「いや、俺は一橋に行くんだ」と話し、東京に住んでいない人からするとあまり聞きなれない大学名に、友人たちは「?」を頭によく浮かべていました。中学校になっても高校生になっても、「東大とか行くの?」、先生にも「絶対東大に行きなさいよ」と言われた時も、「いや、一橋に行くので」と話していました。

いつからかの2番手思考

その時の僕の思考は、一橋がいい!ではなく、東大は嫌だ、という感覚がありました。
今思うと全く根拠のない感情論的な話なのですが、頭がいいなら東大、みたいな固定観念や脊髄反射的な選び方がそもそも好きではなかったことや、トップやリーダーに対する不信感がその頃(特に小学生の時)にあったように記憶しています。
なんだか、リーダーは偉そう、そんなイメージがありました。なのでリーダーに指名されることが多いキャラではありましたが、カッコつけてサブリーダーになったりしていました。
なので、志望校に関しても今思えば
「いや、京大かな」「東北大に行くんだ」「北海道大学かな」などとにかく東大ではない国立に行きたい、そんなイメージを持っていました。

高校時代

高校に入ると、大学進学もリアルになってきます。
この時は、リアルにどうしようか考えました。
まず希望で言うと、一橋大学に入りたい。
この時の願望は、あの頃の漠然とした、行くんだろうな、とは違いました。
あの大学に入りたい、明確に感じていました。
その一番の理由は、経営学を日本のトップで学びたい、と思っていたからです。一橋大学は、旧商科大学と言うこともあり商学部では歴史のある学部、日本でゼミ制度が始まった端緒とも言われる由緒ある大学でした。

僕はその頃、社長になりたいと思っていました。
理由は簡単、その頃にテレビでやっていた「リッチマン・プアウーマン」で小栗旬さんが演じる日向徹がカッコ良すぎたからでした。
ちょうどその頃から、リーダーという立場を受けることに抵抗もしなくなってきていた私は、どこかの本で読んだ「社長は会社の一番の僕(しもべ)である」という言葉の持つ献身性にも心を打たれて、リーダーは自分のために偉そうにしている存在ではなく、全体のために一番献身して、貢献する人間なのだ、という思いを強くしていました。
テレビで見たその直感的なかっこよさと、本で読んだその精神性の高さに心を打たれ、将来は社長になる、そのためには経営学を学ぶ、ということで一橋大学商学部を第一志望に据えました。

国立受験大変じゃない?
そう言われるとこともありました。だけどそれはむしろ燃える原因になりました。
高校2年生になると、僕たちは文系と理系でクラスが分かれます。
その時に
「俺はもう文系だから、数学はやらなくていいんだ」
「理系になったから国語とおさらばできる」
という同級生の言葉を横で聞いていて、
「やった、人生においてのライバルが減った」
と本気で思っていました。

文系だからと言って、この社会で数字と関わりを立つのは不可能で、会社で営業の数字を追ったり、日々の家計をやりくりすることになるのに!とか。

理系でも、日本人である限り、日本語をコミュニケーションで使うわけで、一生付き合っていくことになるコミュニケーションスキルや意味を読み解く力、他人の感情を推し量る過程について深められるよい機会なのに!とか思っていました。

たしかに、人には得意不得意があり、苦手なものに挑戦することには困難がともないます。一点に集中することで成果が上げられるのも事実です。でも、その1点で勝負するには相当の才能が必要とされるのも事実。複数の軸足を持ち、安定させた上でそれをかけ合わせた魅力で勝負している人が社会のほとんどです。
少なくとも、最終学歴となる大学までは、広く学ぼう!そう思い、負荷がかかるからこそ選択しました。
 
さあ、そんなこんなで幕開けた大学受験、どうなるのでしょうか。また時間をつくり、書いていきます。

みなさんはどんな思いで大学を選びましたか、または選びませんでしたか。
あの頃の自分はまっすぐで、そもそもどう生きたかったか、何に向かって走っていたはずだったか、教えてくれます。
 

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