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『パン屋再襲撃』(村上春樹)の不思議な魅力。

HAKOMACHI 5/31冊目

おはようございます、せいたです。
神保町の棚貸し本屋で1ヶ月限定の棚主をやっています。
今日はなぜか好きになってしまう、そんな不思議な小説を紹介します。

こんな真夜中と夜更けを過ごしたい

深夜に眠れない夜、それは誰にでもあるのではないでしょうか。
寝付けない夜。寝たけれど、起きてしまった夜。
やけに月が明るく綺麗で、ベランダで眺めたくなってしまった夜。
そんな夜はどこか気だるくて、まどろみのように穏やかで、一周回って頭は冴え冴えとしている。

村上春樹さんは言わずと知れた名作家で、私も大好きな小説家の1人なのですが、なぜ好きなのかと言われると、分からないのです。
なんとなく好き。なんだか読んでいると、生活のテンポというか、暮らしのリズムが整ってくる。素敵で不思議な作品が多いのが、この人だと思っています。

『アフターダーク』『夜中の汽笛について、あるいは物語の効用について』

深夜の雰囲気で大好きなのがアフターダークです。深夜のファミレスのあのなんとも言えない空間の贅沢さ。音楽が流れていて、周囲の人々の雑談も聞こえて、生活には一ミリも必要が無いけれど、ネタの宝庫というか。
せきしろさんの「去年ルノアールで」というコラムがめちゃくちゃ面白いのですが、これも喫茶店が舞台。カオスな環境は新たな創作の種になるのですね。

まだ活字では味わったことがないのですが、『夜中の汽笛について、あるいは物語の効用について』。これは、高橋一生さんの朗読で初めて聞いたのですが、とても素敵です。
夜中に、小声で男女が囁き合う雰囲気がとても詩的に切なく、表現されていて、これまたなんだか不思議な感覚に陥ります。闇とその中にある孤独、その美しさを描き出されていて、不思議なその魅力に引き込まれていきます。

『納屋を焼く』に描かれる孤高の朝

早朝で言うなら、『納屋を焼く』。
主人公とガールフレンド、そして彼女と親しくしている資産家の男。
主人公と資産家の男が話しているシーンが、とても印象的です。

「時々納屋を焼くんです。」
「だいいちちっぽけな納屋がひとつ焼けたくらいじゃ警察もそんなに動きませんからね。」
「とても良い納屋です。久し振りに焼きがいのある納屋です。実は今日も、その下調べに来たんです」

なんの話をしているんだろう?読みながら頭がぐるぐる回ります。
納屋を探すときはもっぱらランニングをしているという男。
主人公もランニングをして焼かれたと言う納屋を探すが、どこにも見当たらない。

そして時を同じくして、姿を消すガールフレンド。

メタファーの名手が、自分のその腕が知られているからこそ、それを疑う読者の目すらも、表現の一つとしたかのような、メタ的な表現だと、感じました。
テイラー・スイフトが自分の過去のスキャンダルを逆手にとってBlank Spaceを完成させたように。
東堂葵が、「位置を入れ替えない」というブラフや「片腕でも発動できる」というハッタリで相手を翻弄するように。
自分は、こういう人だから、こういうそぶりを見せると、みんなこんなふうに思うでしょ、というフェイント。いや、フェイントでもないのかもしれない。そんな答えの出ない芸術に気づいたら引き込まれているのです。

『パン屋再襲撃』 村上春樹

短編の名手、なのご存知でしたか?

さて、今日の本題に移りましょう。
村上春樹さんといえば、上下巻に渡る長編が有名ではありますが、実は短編が味わい深いのをご存知でしたか。
その中でも、今日は『パン屋再襲撃』をご紹介します。

なぜパン屋なのか、どうして「再」なのか

村上春樹さんのすごいところは、例え話やメタファーが、胃もたれしない。
コッテコテのポエム調な詩でもなければ、あまりに淡白で寂寞な例示でもなく、ありそうで、ない。
わかりやすくてシンプルなのに、味がある。不思議な表現です。

『パン屋再襲撃』。
このタイトルもなんだか含みがあります。
なぜ、パン屋を襲わなくてはならないのか。なぜ、「再」なのか。
とても考えさせられる、問いかけられる、物語です。
あなたには、どう映りました?あなたは、どう思いました?

どうしてパン屋?というところで言うと、
過去の主人公の行動原理としては、
・ひどくお腹を空かせていた。
・その時は働きたくなんかなかった。
といったもので特にパン屋である必要はありませんでした。

ですが、1度目のパン屋襲撃の際に起こった出来事が発端となって、主人公と妻は、再度パン屋を襲うことを目論み、夜の街へカローラを走らせることになります。  

さて、2度目のパン屋襲撃はどんな結末を迎えるのでしょうか?

アートとしての文学

あらためて見ても、村上春樹さんの文学はアートとして、読み手に問いかける作品が多い、と感じました。

今ちょうどアート思考に関する本を読んでいるのですが、アートには、見る物に問いかける、という効用があると。
答えがない中で自分の正解をつくりだすこと、仮説を立て、検証していくこと。
村上春樹さんは、読むアートなのかもしれない、、、そんなことも感じながら、
読んでいました。

今まで読んできた村上春樹さんの作品も、何かを読み解こうとしてではなく、作品という問いに対して、自分の心からどんな答えが湧き上がってくるかを感じながら、読解するというより、鑑賞する見方で読んだら、また見方が変わるかもしれないですね。
みなさんにとって村上春樹作品はどういった文学ですか?

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