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『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎)、今したいことを真に描く。

HAKOMACHI 一日一冊 16/31冊目


「仕事があと1時間早く終わったらなあ」
「たしかに、いいよねえ。1時間あったら何する?」
「筋トレかな?君は?」
「資格の勉強か、転職活動かな」

ー定時後19時の会話、スマホをいじりながら

僕たちがやりたかった事って、何だっけ?

こんばんは、せいたです。
神保町の棚貸し本屋さんで、1か月限定の棚主をしています。

今日紹介するこの本。
この本の冒頭数ページ。
それだけで、ものすごい価値が凝縮されています。
人類の普遍的な悩みが、集約されています。

僕たちは、僕たちの祖先のおかげでだいぶシンプルに生きることができるようになりました。

農業や牧畜が発達しているので、毎日定期的に食料を手に入れることができます。
車や電車の発達でより少ない動力で安全に移動ができます。
通信の発達で世界の裏側にいる人とも情報のやり取りができます。

そのおかげで、だいぶと時間が節約されました。
かつては、自分の食事一つ取るので精一杯だった1日が
・仕事をし
・食事をし
・家事をして
・余暇を楽しむ
余裕まで出てきています。

さて、そして、いよいよ、満を辞して手に入れたその時間で、
みなさんは何をしているでしょうか?

スマホでSNSを流しみている?
動画サイトで動画をぼんやりと眺めていた?
ほんとうに?祖先たちが命をかけてつくった時間で?

僕はそんなことを感じました。
冒頭でどんなことを感じるか、それでその人の感性がわかるかもしれません。

『暇と退屈の倫理学』 國分功一郎

出会いは地元の図書館

僕が國分さんに出会ったのは、本の中ではなく、現実世界が先でした。
10数年前に憲法改正の議論になった際に、そのテーマで彼が対談イベントをしており、それに母と参加したのでした。
なかなか深い議論で、理解が追いつかなかったこともあり、その時の内容まではあまり深く覚えていないのですが、彼のその言葉選びや捉え方に、色気のようなものがあり、なんだかその会場にも彼のファンが多くいるように感じられました。
そしてその魅力の存在に、本を通して僕は気づいていくことになるわけです。

四国での再会

さて、そんな出会いから10年近く後、友人が四国に転勤になり、彼の家に遊びに行ったことがありました。
その時に、床に平積みされた本の中に、この本が。
彼は新聞記者をしていて、口で操る言葉がとても興味深い男。
その彼が読んでいるのだから、面白いに違いない。そうして書店で購入し、読んだのでした。

確か読んだのは社会人3年目のゴールデンウィーク。
ゴールデンウィークに入る直前に、新入社員のトレーナーになることが決まり、またその子がとてつもなく優秀で、「どうやって育てていけばいいんだあ」と悩みながら旅に出た長野と群馬旅行でした。
岩櫃城に行くまでの電車がついたはいいものの、帰りの電車がほとんど無くて、すごく退屈をしながら、本書で書かれている、とあるタイプの退屈に、出会うのでした。ああ、これか、と。
暇すぎて、新入社員の育成計画立て終わるくらいでした。そのくらい頭の中はそれでいっぱいだった。

そして、次の休みに出かけたピーター・ドイグ展。そこで読んだ気がします。なんだか竹橋の駅と記憶がセットになっている。
人は、自分と違う生物の世界観を想像できる、だからこそ退屈するのだ、という一説。ノミは、自分の下に温度を感じたら勝手に足を離し、着地した先でも温度を感じたら血を吸う。そこに相手の世界への想像や自分の行動に対する選択肢はない。
本能のまま、組み込まれたプログラムにままに行動するだけ。
でも人間はそうではない。

熱中するものを持つ人生に

暇と退屈が入り混じった世界をどう生きるか

人間は、別の個体の考えや世界観を想像できるからこそ退屈を感じます。
同様に孤独を感じたり、ひとりであると感じたりする。

その中で、退屈だな、何して時間を潰そうかな、と考える。
暇を潰しながら、私のいるべき場所はここではない、と自分に言い聞かせる。
そんな人生を、僕は、みなさんは生きていきたかったのでしょうか。
今の自分も、少なからず過去の自分によってつくられた時間を生きているはず。
頑張って勉強したからこそ、しっかりと余暇が取れる企業で働いているのかもしれないし、さまざまな人と出会って勉強したからこそ、自分の家を持ち穏やかに暮らすことができているのかもしれない。

何も勉強をしない自分では、夜も働き通しの日々かもしれないし、
何も知らない人生では、穏やかに時間を確保する方法すら知らないかもしれない。

過去の自分が作ってきてくれた時間で、あなたは何をしているのですか?
僕らは何をしていくのでしょう?
正解はありません。ただ、僕の正直を、あなたの正直を、知りたいなと切に思うだけです。
さあ、僕らにはどれだけの時間があるでしょうか?それをどう過ごしていきましょうか?






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