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たこ天物語(前史) #2 (寒海幻蔵)

 ジリジリと照りつける太陽が眩しい夏の朝、ピカドンはやって来た。
 一瞬の破壊は、この上ない衝撃だ。街は一面焼け野原。
 ただ一箇所、小富士のような小山の陰で、核エネルギーの破壊が弱められた地域があった。
 戦国の世に山城があった黄金山が、盾になった。
 小さいながらもりりしい子富士の懐で生き残った夫婦に、翌年、子どもが生まれた。


 「黒い雨が降り二度と草木が生えず、人も……」と言われた死の町に、赤子が生まれたのだ。その驚きは、幾許のものか。生き残った者に、どれほどの希望をもたらしたことか。
 だがそれも束の間。命は半年も保たなかった。


 その翌年、同じ夫婦に、絶望の追い討ちか、また新しい命が宿った。
 希望に、強い怖れが重なった。産まれた子がリンゴほどの大きさで、産婆の両手にスッポリ入ったのだ。とても育つとは思えない。
 ひと月と保たないかも、と産婆は呟いた。


 生き残った被爆者の葬式は絶えず、その赤子も、先の子と違って希望をへし折る使者のようだった。そんな周囲の恐れと憤りの混ざった諦観の目に、母親だけが抗った。反対を押し切って、隣の県の実家へ新生児を連れて逃れた。
 戦争が終わってからの疎開とは。
 誰も母親の心を理解しなかった。
 小さな命が生き延びる可能性を、母親は空気の綺麗な山村の暮らしにかけていた。


 ひと月、ふた月、六月。母親の執念か。澄んだ空気と新鮮なミルク、卵、野菜、肉に恵まれた農家で、死神の陰は薄れた。
 ピカドンのピの字も知らないまま、ちびっ子は、無邪気に幸せだった。
 晴々しく田舎の小学校に入って間もなく、その彼の世界が一変した。


 身の回りの家具一切を乗せたトラックの隅に乗せられた。ガタゴト道に母と揺られたその狭い漆黒の空間は、怖ろしくも、母の胎内に戻ったような奇妙な感覚に包まれていた。
 消えることのない記憶は粒で残る。
 父のもとに戻った。
 人には、生まれた時からの命が紡ぐ人生ラインがある。
 田舎の幸せを享受していたちびっ子は、いきなりリンゴの赤子、被爆者の子の人生航跡にワープしたらしい。


 顔を歪めた顰めっ面で、病床の父は何やら叫んでいた。死神が背中で吠えていた。
 繰り返し襲ってくる激痛の声だった。
 チビにはそれが分からない。憧れの父はかっこいいはずだった。
 近づくと叱られ、触ると怒鳴られた。
 すでに骨はボロボロに折れていた。横たわっていても激痛が走る、そのままの姿がそこにあった。
 ピカドン炸裂直後、救助にヒロシマ中を走りまわった英雄の姿は、見る影もなかった。


 ちびっ子には訳のわからないまま、葬式になった。
 その重く暗い空気には全く馴染めなかった。
 山村の葬式は、暗くはなかった。子どもにとって葬式は、祭りのようであった。炊き出しがある。大人たちは忙しく働き、子どもたちはその周りで遊びまわる。炊き出しのおむすびは大きく、旨い。
 だがヒロシマの葬式は違った。不気味な底知れぬ暗さがあった。騒ぐと蔵に押し込まれた。


 親父が死んで、世界がまた大きく変わった。
 チビは文字通りに、親戚の厄介者になった。
 もっと大きな異変は、ヒロシマの学校にあった。
 いきなりヤンチャができなくなった。被爆の子の症状か何かわからない。あれこれ身体の異変が出ていたらしい。本人に自覚はない。言われても分からない。


 今でも思う。身体は調べりゃ異常が出るわな。
 だがチビを取り巻く環境で、チビの言い分は全く通らない。体操は見学、運動会も出られない。何かと保健室。
 保健室が好きな子、好きな先生もいよう。チビにとっては恥でしかない。ここで妙に漢気が湧いた。
 俺は元気だ。元気な自分が何でや。何の薬や。


 いきなり違う人間にされた。学校では幽閉。家は居候。山賊の自分だけが自由。
 山賊小僧だけが幼い頃と同じ自分。家、学校の自分は自分じゃない。違う自分。
 自分で自分の名前を変えた。幻蔵をケンゾウと呼ぶことにした。


 女の子も苦。だいたい容赦がない。めざとい。ズカズカ入ってくる。女の子が突いてきたところから、いじめが始まる。「めんどい」と、無視すればするほどうるさくなる。
 やめさせるにはカウンターパンチ。逆に相手をいじる。すると新手が現れる。厄介な先生だ。クラスで白い目で見られる。
 「俺がいじめっ子だって?」


 いじめは何処でも、何歳になっても吹っかけられる。子どもはいじめ、大人はハラスメント。そこばかり見れば、世の中真っ暗闇。そこだけを見て、それを避けようとするなら、目立たないようにするしかない。その手立てのひとつが引きこもりだ。
 引きこもりにも二種類ある。家や、ケンゾウのように山に籠る。もう一つは、人中で籠る。その英雄がゴルゴ13だ。野茂投手にもその気があった。


 だが自分で目立たないようにしていても、異なる環境に行けば、勝手に目立つ。目立てば関心が来る。嫉妬も来る。そうしていつの間にか、ケンゾウのようにいじめの海に翻弄されている。
 何処でも起きることだとしてみよう。そうすると切り抜ける道が見えてくる。
 関ヶ原で切羽詰まった島津義弘公がそうしたように。


 いじめはいつも起きている。
 逃げる、籠る、活路を開く。どれも策。
 狙いをつけ(A)、策を持って(S)、断行(E)! 
 いじめは逆転できる。A S Eをかくんだ。逃げて、籠って、知恵とエネルギーを溜めて迫り出す。島津の殿様や野茂さんのように!

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