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たこ天物語(前史) #4 (寒海幻蔵)

 原爆スラムができたヒロシマには、孤児院から始まった養護施設が多くあった。
 縁あってケンゾウは、そこで育つ子どもたちと出会った。親の愛育のない子どもたちはみんなヤンチャで、どこの指導員も十分すぎるほどに手を焼いていた。


 親代わりに、参観日に学校に行ってみた。
 なんと、みんなまるで違う子だった。
 園では目立ってガタイの大きなガキ大将が、恐ろしく小さく縮こまっていた。ガタイが大きいので、かろうじていじめられっ子になるのを免れていたが、教師からすれば、十分いじめられっ子だという。
 他の子どもたちは推して知るべし。皆小さく縮こまって、いじめられっ子になっていた。


 彼らは、自分が主人公になれる家族がなく、園でも学校でも決して主人公になれない。荒れるか引きこもるかしかなく、破壊的で自暴自棄に見えた。
 ケンゾウも、家でも学校でも主人公になれなかったが、山があった。山賊になって、主人公の夢を追っていた。
 ーーーこいつら、思いっきり主人公にしてやらな!

 

 思い立ったケンゾウは、学生の仲間集めと社長室巡りを始めた。1日でいいから、彼らを主人公にする「国を作る」実行計画を説いて回った。
 夏の時期だけ海水浴場になる、瀬戸内海に浮かぶ無人島「絵の島」を見つけた。
 そこに周辺の養護施設の子らを連れていき、こどもの国を作らせる。学生は下働き。資金は社長さんたちから。


 計画をぶち上げると、施設も回って職員や子どもたちにも趣意を説き、子どもたちには、国づくりの手作業を割り当てた。その働きに応じた報酬として、こどもの国の小切手を支給した。こどもの国の銀行に行けば換金できる。
 国には、銀行をはじめ、食堂、カフェ、劇場、商店、病院、国会、安全を守るガードマン隊も作る準備を始めた。


 社長さんたちは、納得するまでは手強いが、趣意に賛同すると力強かった。
 子どもたちと引率職員総勢70名余り、学生70名余り、取材同行の新聞記者を入れて総勢150数名を広島の二つの港で拾い、絵の島まで運ぶ観光船を、汽船会社が提供してくれた。
 絵の島も、持ち主の観光会社が、丸一日借り切ることを許可してくれた。


 学生たちには、大学祭の経験で、出店を出すノウハウが十分にあった。食材、商品は社長さんたちの会社から提供された。1日病院は医学部の学生、看護学校生が引き受けた。
 それでも総予算は相当なものだったが、建国予算と物資は準備でき、こどもの国作りの計画は、成立から実行に移った。


 スタッフによる出航準備は夜を徹し、ご来光を拝んで船に乗り込んだ。
 未知の企画にスタッフの学生仲間は、皆顔を赤らめドキドキの緊張の中、子どもたちの待つ港に向かった。
 お互い初顔合わせの、異なる施設からやって来た小学生から高校生までの子どもたちは、乗船しても、学校と同じように縮こまっていた。
 スタッフの興奮と、静かに引いている子どもたちの熱には、落差があった。


 出航するとすぐに、ケンゾウは子どもたち全員を甲板に集めて、叫んだ。
 「今から君らが主役だ、俺らはスタッフ。スタッフは何するか知っとるか! 下働きだ。文句あるか? (シーン) なければ今から国作りやるぞ! (シーン) オーラー、叫べ!」
 『(小さい声で)オーラー』
 「小さい! 大きい声で、腹から声を出せ、オーラー!」
 三度繰り返して、声の熱は上がった。


 各園の代表で、「こどもの国設立委員会」が開かれた。ケンゾウから建国手続きのコーチングを受け、子どもたちは動き始めた。
 設立委員は国会議員となり、設立国会を開き、大統領選挙をすることになった。大統領が選出されてその就任宣言がなされた頃、船は絵ノ島に着いた。
 ケンゾウは大統領補佐官となり、子どもたちの意志決定による、こどもの国の生活、活動が始まった。


 開国式が行われ、国旗を掲げて国歌斉唱に入ると、子どもたちの熱とスタッフの熱は融合した。
 子どもたちは銀行に殺到し、日頃自分のお金を持って遣ったことのない子たちが、こどもの国の通貨で買い物を楽しみ、食べたいものを食べたい時に買って食べることにはしゃいだ。
 お金の遣い方に、それぞれの子どもたちの性格が出た。


 スタッフに助けられ、クラブ活動も展開し、劇場ではエレキバンドが鳴り響いて、ダンスに歌に、祭りと運動会が一緒に来たこどもの国になった。
 ハプニングも起きた。アメリカ軍の不法入国が起きた。
 近くの極東軍の家族が、無人島にレジャーボートで上陸してきたのだ。
 大統領は外務大臣を派遣して外交交渉をし、共に楽しむ目的を共有し、不法侵入を観光許可に変えた。


 子どもたちには創造性がある。
 楽しむあまりに、昼過ぎには、多くの子どもたちの財布の残りは少なくなり、お土産買う余裕がなくなってきた。
 緊急国会が開かれ、デフレ条例が発され、全ての商品の値下げが断行された。
 そうして子どもたちは、国の収束に向けて準備された商品の消費をコントロールし、自分たちの意志で動き、協働して互いに喜びを分かち合う体験を享受した。


 閉国式で空いっぱいに凧を飛ばし、自分たちの夢を、誓いを、スタッフへのありがとうを、大声で叫んだ。スタッフたちはオーラーで応えたが、皆、涙声であった。
 帰りの船が、今度は、子どもたちの涙、涙の別れのハグで溢れた。
 自分が主人公になるパワーをそれぞれに掴んで、子どもたちもスタッフも、一皮剥けて帰っていった。
 原始たこ天村の風景だ。
 ここから始まったたこ天は、何を生み出してきたのか、聞きたいかい?

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