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はじめの舞台

そこそこの年月を所謂『芸能』と呼ばれるジャンルに費やし、そこそこ多い肩書をもっている、そこそこいろんな事をやっている人間なのですが。
じゃあなんでここに辿り着いたんだと問われると、そういえば語った事はないのかもしれないと思い当たったもので。
 今日は自分のことをつらつらと語ってみようかなと思いました。

 初めて舞台に立ったのは、4歳の誕生日でした。
所謂お遊戯会のようなものではなく、チケットを購入したお客さんが観劇をしてくださるタイプのもので、地元岡山県にある津山文化センターでの公演でした。

 台詞という台詞もなく、大きな木が舞台に横たわっていて、その真ん中にお気に入りの人形と一緒に座らされ、『お迎えが来るから、そこで待っててね』と言われたのを覚えています。それを言った人がハケたらスタンバイOK。ゆっくりと緞帳が上がり、お客さんの拍手の音が響きました。
暫くそのままじっと待っていたら袖から姉が迎えに来て、その手をとってハケていく。

 これが、わたしが舞台に立った初めての記憶。
ゆっくり上がる緞帳のホコリっぽさ。照明がちかちか眩しい。お客さんの拍手が雨の音みたいだなと思った。断片的ですが、鮮明な記憶です。

 当然、真剣にお芝居に取り組んだわけでもなく。たくさんの大人に可愛がってもらい、お兄さんお姉さんに遊んでもらい、とっても楽しかった稽古期間だったので『遊びに行っていた』といった感覚でした。とはいえ、舞台上の記憶は幼児の頭から溢れることなく今もなお刻み込まれているということは、相当な衝撃であったのだろうと推察します。
 そしてもちろん、この経験がなかったら『声優』なんていう特殊な職に就こうだなんて思わなかっただろうし、きっと漫画とアニメが好きなだけの人だったと思います。

 4歳にして舞台の魅力に気づいてしまったわけですが、何を思ったのか、親はいろんな種類の舞台に娘を送り出しました。芝居、ピアノ、クラシックバレエ…人前で何かをすることに抵抗がなかったのは、この辺りの経験が生きているのでしょう。
 芝居はもちろんですが、ピアノは音感をバレエでは体感を培い、この後の役者人生において大いに役立つこととなりました。舞台とは外れますがスイミングスクールにも通っていて、肺活量はこの辺りが役立ったのかなと思います。

 自分がステージに立っていたわけではないですが、父親がバンドでボーカルをやっていて、よく地元の小さなライブハウスに見に行っていたのも覚えています。父はギターと歌が上手でよく教えてくれたものですが、残念ながらわたしにギターのセンスはなかったです。歌も実は『紗恵子は音痴だ』とずっと言われ続けていたので、まさかアーティストデビューしてCDを出すことになるとは、家族の誰も想像していなかったでしょう。

 ギターのセンスのなさは早々に諦めて、ちょっと触る程度で満足していたのですが、歌に関しては何度音痴と言われようとも歌い続けていました。歌が好きだったんですよね。
 犬の散歩をしながら野原で歌い、部屋で歌い、お風呂で歌い、とにかく暇があれば歌っていました。高校に入ってからは路上ライブも少しやってました。

こう振り返ってみると、なんとも自分の興味の向くものにばかり打ち込んできた人生だなぁと思います。

4歳の舞台からここまでやって来れたのは、こうと決めたら何が何でもやる自身の頑固さと、なんやかんやと言いつつも好きに生きさせてくれた家族のお陰であり、子を育てる親となってからはひとしおに感謝せねばと思うようになった次第です。

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