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CMBYNからBLの古典?プラトンの「饗宴」を読んでみた

※「君の名前で僕を呼んで」と「FIND ME」のネタバレを含みます。

「饗宴」に興味を持ったのは、小説「君の名前で僕を呼んで」と「FIND ME」を読んで、これをもっと理解するには古代ギリシャの少年愛・・・プラトンの「饗宴」を読むべきなのかなと思ったのがきっかけだ。君の名前で僕を呼ぶことの本当の意味やそのイメージと理想がそこにはあるかもしれないと考えた。だってオリヴァーはギリシャ哲学が専門だし、饗宴には半身をもとめる話があった気がしたからだ。もちろんギリシャ哲学の知識は全然無いので難しいかなぁと思ってたけど、新訳のおかげで読みやすい!!てかこれマジで誇張なしでBLやん!!

一応あらすじを説明すると著者プラトンの師匠ソクラテスを含む6人が宴会で愛の神エロスについて順番に演説していくって話。ギリシャ神話の神エロスについて語ることで人間の愛について語っていく内容だけど、ここでの愛は当時の独自の性風習である少年愛である点がポイント。まず5人が異なった視点でエロスについて持論を展開。その中のひとりアリストファネスの話では、人間は太古の昔、現在の人間二人が一つになった生物で、男・女、男・男、女・女という3つの性があったという。だけど、人間は神々に逆らったためにゼウスに半分にされてしまった。そのため、人間は本来の片割れを求めてそれと一体化しようとする欲求がありそれこそエロスだと主張した。この有名な話。オリヴァーはこれを愛の理想として求めて二人が初めて結ばれたとき「君の名前で僕を呼んで」と言ったのかな。またエリオも結ばれる前から同じ感覚を持っていて「オリヴァー、僕と君はいつ引き離されてしまったの?僕たちが本来はひとつの存在であることに、どうして僕は気づき、君は気づかなかったの?」と言っている。そういう感覚の根底にはアリストファネスが語る神話があったのかな。

でも「饗宴」で面白いのは5人がそれぞれに語ったあとで真打ちソクラテスが登場して、5人の話に対話形式で異論を唱えて結局ちょっと難しい哲学の話に持っていくところ。ソクラテスは半身を求めるアリストファネスの話にも異論を唱える。彼の演説はこうだ。半身だってよいものじゃないなら愛し求めることはない→自分のものだからそれを大切にするわけじゃない→要するに人々が愛し求めるものはよい物以外にない→さらに人はよいものを自分のものにしたい→さらに永遠に自分のものにしたい→まとめるとエロスはよいものを永遠に自分のものにすることを求めている。では結局どうすればよいのか?その答えは「美しいものの中で、子をなすこと」。え・・・もしかして「FIND ME」で突然ミニオリヴァーが出てきてエリオが僕たちの子どもって言い出すのそういう背景??「FIND ME」を読んでてなんでいきなり二人に子ども(のような存在)が必要なのかなっていうことが本当にわからなかった。だってエリオもオリヴァーも別に二人の子どもを欲しがっている描写なんて無かったし、子どもがめちゃくちゃ唐突に感じた。でもエロスの究極の形が子をなすことというソクラテスの話をもとにしてるなら納得だ。ソクラテスの話では人はよいものを愛し自分のものにしたいということは幸福になるためだという。つまり作者は二人の最後に子をなすことで、二人の愛を永遠にして二人を幸福にしたということではないか。もしそうなら最大級の読者サービスではないか!!

でも独身で子なしの自分としては子どもが生まれることを幸福の最大級とされると正直つらい。エリオとオリヴァーが幸せなのは嬉しいけど、結局お父さんとミランダっていうヘテロオヤジの理想の恋愛を散々見せられたあと、エリオとオリヴァーの最後の幸福もヘテロ視点の子をなすという帰結・・・。「饗宴」では子をなすはもっと広義で「魂の懐妊」として芸術や立法など何かを生み出すことも子をなすことと言っているのだから、別に本当にミニオリヴァーを出さなくてもいいのになとも思ったり。もちろんそもそも「饗宴」が物語のモチーフになっているわけではないので、言いがかりではあるけど・・・。

「君の名前で僕を呼んで」に出会ってさらに「饗宴」にも出会えてすごく面白かった。これが紀元前400年代に書かれたとか驚きだし、子をなす解釈なんてむしろ現代的で興味深かった。そして何より驚いたのは、ソクラテスの演説が終わったあとに突然アルキビアデスが乱入して自分がいかにソクラテスを落とそうとして失敗したかを詳細に愚痴りだす話が始まったこと。なにこの衝撃的BL展開!!笑 食事に誘ったり無理やり夜までソクラテスと語って一夜を共にしようとするも全く手を出されず玉砕。カワイソウ!笑 堅苦しい哲学書かと思えばこんな恋バナが最後に出てくるんだから古代ギリシャって何なんだ!解説を読むと政治家アルキビアデスを堕落させたと言われるソクラテスへの擁護のための描写らしいけど・・・擁護になってるのか??笑 まぁ、少年愛は当時の一般的な風習だけど、現代のような同性愛を続けるのは当時も困難であったようなので本当に同性を愛することはいつの時代も困難なようだ。そんな中エリオとオリヴァーが最後にハッピーにくっついてくれて、やっぱり「FIND ME」を書いてくれてありがとうと言いたいなと思った。

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