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年の差婚は,年上男にとって本当に幸せなんだろうか

以前に「年の差婚は,罪つくりかもしれない」という記事を書いた。

私と先月亡くなったオットは12歳違い。年の差婚の部類だ。

確かに結婚した当時は,「犯罪!」と言われた。けれど当人たちは,世間でいう年の差婚という意識はなかった。

気が合ったから一緒になっただけで,年上男の経済力に魅力を感じたとか,年下女の若さに惹かれたとか,そんなものではない。私はトロフィーワイフという柄でもないし。

さして気にしなかった年齢差であるが,たまにそれが二人の関係にちらつくことは,確かにあった。

10年くらい前まで,オットは「自分が退職するときに一緒にキミも仕事を辞めようよ」ということを言っていた。オットが60代で退職するとき,私は50代。それを言われた40歳前後の頃は,まだ仕事に対して上昇志向があったので,50過ぎで家にいることに魅力を感じられず,はぐらかしているうちに言わなくなった。

男の甘えだと言ってしまえばそれまでだが,オットがいなくなった今は,あの言葉はありがたいとさえ思える。悠々自適の暮らしの隣りに妻がいる絵。オットのささやかな夢だったのだろう。

その後も将来の話になると,かみ合わないことがあった。

年下の人間から,年上の人の世界は見えない。身長170センチの人は,背をかがめれば160センチの人の目線がわかるかもしれない。けれど身長160センチの人は,170センチの人が見る視界を,つま先立ちしてみるしかない。想像してはみるが,ずっとつま先立ちをするのが無理なように,同じ風景を見続けることはできない。

1年前にオットが病気になった。表には見えないところで,二人のこの先の時間の捉え方は違っていった。

オットは1年後のことはわからないと言うようになった。けれど自分がいなくなった後への準備は避け続けていた。

私はnoteに出会い,新しい世界にわくわくしていた。書くことや人との出会いで新しい道が見え始め,それを探ることに夢中になった。毎晩パソコンへ向い,記事を書いたり,情報収集をしていた。

それは,周囲の人の病や死を見て感じた焦りが原動力だった。加えて,抑圧から解放される予感に引き寄せられていたことも,また確かだ。

1年刻み,あるいは月単位でしか先が見えない人と,

あと30年。「人生100年時代」という流行り言葉で考えたらあと50年生きなければいけない自分と。

年下妻の酷薄さ。

私が,最期に向かうオットの悲しみや恐怖に寄り添えたとは思えない。

年の差婚で,老いや死に同じように向き合うことは難しい。

「年の差婚が罪つくり」。

罪つくりだったのは,年下妻の方でもある。

年若い女との結婚を夢見る男は,老いや病に一人で立ち向かう覚悟が果たしてあるのだろうか。


もっともうちの場合,年の差だけでなく,私が身勝手だったのだけれど。

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