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「国家という偽善 02」毎日ショートエッセー:古い羅針盤134章

一昨年から昨年末に掛けて、私たちは嫌と言う程戦争を間接的ではなるが、経験した。ロシアによるウクライナ侵攻、そして、イスラエルとパレスチナの紛争だ。どちらもメディアというフィルターを通じてみるのだから、真偽かどうかは自らの見識に立つしかないが、少なからず反戦という意識が日本にも起きたのは幸運だったと思う。国家の為、それは他国にせよ、あるいは自国(徴兵という形での兵士としての参戦)の為に、自らの命を捧げる事に対しての嫌悪感だろう。まさに社会での自由の喪失が戦争行為だ。但し、国家間では戦争は是非を問われない。まさに、生物の生存競争のように正当化されるからだ。それを掲げ、それを正当化した国家拡大戦術が帝国主義、国家主義だとしたら、第二次世界大戦での諸外国や日本でさえ、皆、その範疇に属しているはずだ。「脱植民地化:帝国・暴力・国民国家の世界史」:デイン・ケネディ、 長田紀之訳を引き続いて読んでいる。

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