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ライブ好きな僕に銭湯が教えてくれたこと

スタジオでも本番さながら、汗をかきながら練習をする。汗のベタつきと冬の乾燥が相まり、いち早くシャワーを浴びたくなった夜22時。シャワーをひねり、手に水を当て、お湯が出るのを待つ。お湯が出るまで僕はいつも歌を歌う。

「キツネ!タヌキ!天ぷら!月見!お肉!ヒガシマル!うどん!うどん!うどん!スープ!」

いつも「スープ!」のところでお湯が出始めるので、「スープ!」を心待ちに冷たいのを我慢しながら歌う。テンポを上げたからと言ってお湯が出るのが早くなるわけではないので、原曲のテンポで歌う。しかし、今日は「スープ!」と言ってもお湯が出ないし、2周目の「キツネ!」でも「タヌキ!」でもお湯が出なかった。おかしい。

「まさか!」と思い、濡れた足のまま浴槽を出た。すぐさまガスコンロのスイッチに手をかける。が、「カチッ…カチッ…」と哀しい音が響くだけ。そう、ガスを止められた。

どうしようかと泣きそうな顔で銭湯を探す。22時だと閉まっている所が多い。それでも滲む視界を拭いながら必死でスクロールしていると、自転車を漕いで行ける範囲に24時までの銭湯を見つけた。安心した。けど、正直見つからなくても良かった。「仕方ないよな」と自分を騙してソープ風俗に行けるチャンスだったから。

銭湯は「昔ながらの街の湯屋」って感じで、これがもうとても良かった。6人くらいのお爺さんが入浴していて、なんだかコミュニティみたいなものが出来上がっていた。話を聞いていると分かるのだが、この人たちは家に風呂がないから、ほぼ毎日ここに来て顔を合わせている。定年後の彼らにとって、学校や職場に取って代わる社交場がここなのだ。

考えてみれば不思議なもので、この社交場は全員裸だ。そして新参者の僕は当然、すみっこぐらしヨロシクと言った感じで黙々と身体を流す。その新参者の僕も裸だ。新規、古参共に裸でウロウロ。同じ湯に浸かり息を吐く。何だかとても心地よい。

湯船に浸かって気づいたが、僕以外にも新参者っぽい人がいた。会話の中には入らないけど、とても気持ちよさそうだ。僕もその人も浴槽で一言も言葉を発していないけど、とても幸せな顔をしていた。

初めて来た人も、昔からずっと来てる人も、最近あんまり来てない人も、湯を通じて幸せな気持ちになっている。馴れ合いたい人は馴れ合い、馴れ合いたくない人は馴れ合わない。それでも湯に浸かっている間は謎の一体感が生まれる。

今こんなことを行き当たりばったりに書いていて、ふと思った。上の段落に出てくる「湯」という文字を「音楽」に変えることが出来る。

初めて来た人も、昔からずっと来てる人も、最近あんまり来てない人も、音楽を通じて幸せな気持ちになっている。馴れ合いたい人は馴れ合い、馴れ合いたくない人は馴れ合わない。それでも音楽に浸かっている間は謎の一体感が生まれる。

銭湯の湯船はまるで、ライブハウスのフロアだ。
銭湯のようなフロアが好きだ。

もうこれからはフロアやない。

風呂アや。

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