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友達100人できるまで(1)



私はコミュ障である。

正確にいうと「だった」のかも知れない。
なぜなら、今も本質は変わってないけど、少なくとも自分から人に話しかけられるようにはなったからだ。

こんなこと書くと「え?」と今の私しか知らない人にはものすごく驚かれるけど、幼少の頃の私を知っている人はうんうん、と深く頷いてくれる。

なにしろ、まず受け答えが変だった、らしい。
何をたずねてもオウム返ししかしない。人と全く交流しないばかりか、いきなり庭中の土を掘り返してミミズの養殖を始めたりする。あんたなにやってんの、と驚いて飛んできた母に、世界はこれからタンパク源が不足する、だから今のうちに備えておくんだ、と当時6才の私は真顔で答えたらしい。

先見の明があるといえばあるが、なにを考えているのかわからない不気味な女児だったことは確かである。

そんなんだから小学校に上がっても友達なんかできなくて、学校に行っても図書室にこもってひたすら本を読むか、校庭の隅にしゃがみ込んでアリの巣をつついたりしていた。
べつだん寂しいとは思わなかった。諸星大二郎の漫画に『無面目』というのがあるが、アレである。
そもそも他者を認識していないので、孤独になりようがなかったのだ。

そんな私が「これはマズイ」と認識した瞬間はハッキリと覚えている。
あれは高校一年の時、それまでロクに口もきいたこともなかったクラスメートの女の子が突然私に話しかけてきたのだ。

「あんた、全然友達いなくても平気そうに見えとったけど、ほんまは違うん?」

私はその時、クラスの「いけてる」女子たちがトークに興じる様子を見ていて、ふと誰に言うでもなく「いいなあ」とポツリとつぶやいたらしい。

私に話しかけてきたその彼女もどちらかというと陰キャで、スクールカーストの残酷な現実に四苦八苦してる様子だった。だからフローター(はぐれ者)にしか見えなかった私がクイーンビー(女王様)とその取り巻きに対して「いいなあ」とつぶやいたのに驚いたのだろうが、何よりも驚いたのは当の私自身だった。

そうか、私は友達が欲しいのか。

生まれて初めて、そう思った。

それまでごくたまに話を聞いてくれる大人に対して心を開くことはあったけれど、同世代の人たちがどうしても苦手だった。
本ばかり読んでいたせいですっかり頭デッカチになっていたし、コミュニケーションスキルはゼロ、おまけに人の顔が覚えられない「相貌失認」という持病まで抱え込んでいたからだ。

さあどうしよう。

私は真剣に考え、とりあえず漫研に入った。

そこには私と同じようにスクールカーストから外れた女の子たちがいて、私はまず毎日のようにその子たちとつるむようになった。
その子たちも私と同じように山ほどの本や漫画や映画の知識をその頭に詰め込んでいて、しかもその量は私よりずっと多く、私は初めて自分のオタク度はぜんぜん足りない、という屈辱的な事実を知った。

世の中、上には上がいる。

自分が井の中の蛙に過ぎない、と思い知った瞬間だった。

その後は情報交換に明け暮れるうちに3年間があっという間に過ぎ、私は東京の郊外にある女子大に入学した。

そこはまたしても知らない世界がようこそと私を待ち受けていた。

まずキャンパスに「タワーズ」と呼ばれる、いけてる女子たちの集団が闊歩していた。

時はバブル全盛期。彼女たちは当時流行りのワンレングスヘアにボディコンスーツに身を包み、週末はディスコ通い、体育の授業のロッカールームではどこの美容整形外科がいいかと互いに情報交換していた。

美容整形。 
今でこそ珍しくないが、当時は芸能人しかやらないもの、という認識だったアイテムである。
顔のうぶ毛も剃ったことのなかった私はまたしても驚愕した。

「こ、これが、敵...」

ファーストガンダムでいうところの、ガルマの国葬をホワイトベースの衛星放送で目の当たりにしたアムロの心境である。

さあどうしよう。
私は再び考えた。

一体何をどうすれば、あの「タワーズ」たちを見た時のこのモヤモヤを消化することができるのか。

勝機は思いもよらない方向から大学3年の時にやってきた。

私はタワーズさえも一目を置く、当時学校の三大美女と呼ばれていたうちのひとりと仲良くなったのである。

(2に続く)

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