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友達100人できるまで(2)

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その女子大きってのボディコン集団「タワーズ」さえもが一目置く、学内三大美女のひとり、さゆりちゃんは誰もが認める桁外れの美少女だった。

イケイケのタワーズと違って、その見た目は「清楚」の一言。すらりとした細身の身体、腰まで伸びた薄茶色の髪、抜けるように真っ白な肌、色素の薄い大きな瞳。まさに、私の思う「美少女」の概念を体現したような姿をしていた。

私は再び考えた。
どうすれば、あのような美しい人と友達になれるのか。

私はラファエル前派の絵画から抜け出してきたみたいなさゆりちゃんを見て、そんな絶望的な希望を抱いた。

その日以降、私はさゆりちゃんを見ることが大学に通う第一の目的となった。

同じ講義の時はかならず彼女の斜め右後ろの席を陣取り、ときおり見えるその横顔の美しさにうっとりした。

我ながら気持ち悪いことをしていると思ったが、そういうものなのだから仕方がない。実際、彼女はあまりにも美し過ぎて、学内にもファンが大勢いた。

でも、私は自分からは決してさゆりちゃんに話しかけたりはしなかった。
拒絶されるのが怖かったし、「何この人」なんて目で見られるのはもっと嫌だった。

俗にいう「好き避け」というやつである。

口をきくどころか、彼女の視界に自分ごときが入ることすらおこがましいと思っていた。それでいて、友達になりたい、できれば無二の親友になりたい、などという気持ちが捨てられず、私は大学の4年間をそんなふうにニラニラとこじらせていた。

ところが実を言うと、そのおかげで大学では友達ができたのだ。

なぜなら、さゆりちゃんに対する思いがあまりにも強すぎたため、逆にその他の「さゆりちゃんではない人」に対する気負いがまったくなくなってしまったのだ。

ローランドのセリフじゃないけど「さゆりちゃんか、さゆりちゃん以外か」である。

いつしか私はさゆりちゃん以外の人はどうでもよくなっていた。

相手に嫌われても別に構わん、と思うと人は大胆になれるものである。そのうち私は同じ教室の子たちに気軽に声をかけたりかけられたりするようになり、次第に合コンにも誘われるようになり、しまいには外部の大学と合同のテニスサークルにまで入った。

さらに大学3年生になる頃には、あのタワーズたちとさえ話せるようになっていた。

さゆりちゃんを想うあまり、私は気づけばタワーズに対する恐怖心さえもなくしていたのである。

ていうか、この人たち髪伸ばしたりハイヒール履いたり夜な夜なディスコ行ったりしてるけど、しょせんさゆりちゃんの美しさの足元にも及ばない。それによくよく観察してみれば、大人っぽく見せてるだけで中身は大して私と変わらないじゃないか。

そんな風に思い始めたのがきっと態度に出たのだろう、そのうちにひとり、またひとりとタワーズのほうから私に話しかけてくるようになった。

そして私はタワーズたちが決して仲が良くて一緒にいるわけではないこと、それぞれに年相応のお悩みを抱えていることなどを知った。

そんなある日、タワーズのうちのひとり、ヒトミちゃんが私に言った。

「Jゼミの〇〇さんって知ってる? あの人、ミュージシャンのMと付き合ってるらしいよ」

〇〇さんとは誰でもない、さゆりちゃんのことだった。
そしてMというのは当時一世を風靡していた芸能の人の名前だった。
芸能にうとい私でもその名前を知っていたのだから、相当の知名度である。

私の、さゆりちゃんへの神格化がマックスに達した瞬間だった。

やはり別世界の人なのだ。その思いは確信に変わった。

やっぱりそうか、手の届かない人なんだと自分に言い聞かせていると、ヒトミちゃんが私に向かって、さらにさらっとこう言った。

「でさ、今からその〇〇さんとお茶するんだけど、良かったら一緒に行かない?」


これが、その後長い友達付き合いをすることになった、私とさゆりちゃんとの初コンタクトだった。

その日、何を話したかは覚えていない。

ただ、私がよほどガチガチに緊張していたのだろう、さゆりちゃんがストローの包み紙をギュッと縮め、コップの水を垂らしてイモムシみたいに伸びていくのを見せて笑わせてくれた記憶がある。

ミュージシャンM氏の話もしてくれた。
高校の時、友達に誘われてライブに行ったら連絡が来るようになったのだという。

M氏の実家に行って彼の母親と、こたつでみかんを食べながら彼の帰りを待っていたこともあるという。

Mの家で、母親と、こたつで、みかん。

聞いてて頭がクラクラした。

ただ、さゆりちゃんは決してM氏と付き合っていたわけじゃなかったらしい。
一方的に熱を上げていたのはM氏の方だけで、しかもさゆりちゃんの家は厳しく、門限はなんと夜の9時だった。

「電話がかかってくるじゃない、父が目の前で仁王立ちになって『切りなさい』ってジェスチャーするのよ。もうあれが嫌で嫌で」

携帯電話なんかなかった時代である。

いちど、M氏から急に電話が来て「今ツアーで山口にいるんだけど今から来ない?」と誘われたことがあったという。

行けるわけない、と彼女は言った。

その時はなんともったいないことを、と他人事ながら思ったけど、M氏のその後の栄光と挫折の歴史を考えると、彼女とお父さんの判断は正しかったと言わざるを得ない。

さゆりちゃんと私はその後もいろんな偶然が重なって仲良くなり、大学を卒業してからもその付き合いは長く続いた。

私は彼女といろんな話をし、いろんな情報交換をした。お互いが必要なときにはみずからすすんで会いに行って支えた。そして月日はずんずん流れ、私は、彼女の結婚式では友人代表挨拶をした。

M氏から芸能界入りを打診されていたさゆりちゃんは、「私には似合わないから」とその誘いをあっさり断り、そしてごく普通の男性とごく普通の幸せを選んだ。

私は、大学卒業後は百貨店に就職した。

配属されたのはアクセサリー売り場。ごく普通の社会人スタートだった。

さゆりちゃんは言葉の使い方が本当に面白い人で、なかでも最も記憶に残っている言い回しはこれである。

「あの頃の私はね、まだモノリスに触れる前のサルだったのよ」

出典は言わずと知れたキューブリックの名作『2001年宇宙の旅』である。

そのさゆりちゃんの言葉を借りれば、私はまだその頃、これから自分の身になにが起こるかなんて知るよしもない「モノリスに触れる前のサル」だった。

私の人生最大の転機が来たのは25歳の時だ。

場所は青山の喫茶店。私はそこでその「変な人」に出会い、それによって人生がさらにヘンテコな方向に進んでいくことになったのである。

(3に続く)


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