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なんだかんだいって結局やっぱり楽しんだもの勝ちです




ここ2年、私は書く仕事を大幅にセーブし、演技の学校に通っておりました。

詳しい事情は省きますが、これは行き詰まった時に私がよく使う脱却法のひとつです。
ところが私が学校に入ってまもなく、世間はコロナ下に突入しました。

当然、普通の授業はできません。
本来ならスタジオで学ぶはずがすべてオンライン授業となり、演技はもちろん、滑舌だろうが太極拳だろうが全部画面越しでとり行う羽目になったのです。

私は頭を抱えました。
これ、決して安くない授業料のモトをとるにはどうすれば良いのだろう。

ずいぶん考え、結局、私がとった方策は「他の生徒さんたちを見てネタを集める」でした。
今は演技の勉強をしているけれど、腐っても私は物書き。いろんな世代を見ておくことで、引き出しを増やそうと思ったのです。

*行き詰まったらもっと困れ

思えば学生の頃から私は、お金も何も持ってなかった昔から「あ、この袋小路は長引きそうだな」と感じるとすぐ「違うこと」をしてきました。

「違うこと」とは、それまでの自分なら絶対にイヤがってやらなかったようなこと、です。

行動力があるといえば聞こえはいいですが、要するに昔から妙に冷めているくせに落ち着きのない子供でした。
そこに生来の好奇心と若干のMっ気が加わり、その結果、私のチョイスはいちいち人を失笑させるものになったのです。

慣れないサーフィンに手を出して全身をクラゲに刺されるなどはまだ序の口で、竹芝桟橋から衝動的に「おがさわら丸」に乗って行方不明扱いになる、インドへ行ってサイババに喧嘩を売り側近に取り押さえられる、ダンス未経験なのにいきなりマイケルジャクソンのバックダンサーに弟子入り志願して笑われる、等など。
まあとにかく、閻魔さまが読み上げながらため息をつくような恥ずかしいことを次々とやってきたわけです。

ただこういう「行き詰まったら泣きっ面にハチ」戦略をとるにあたり、私は必ずあるひとつの掟をつくり、それだけは守ってきました。

それは「何事も単独行動。ことを行うにあたっては決して知人を巻き込まない」です。

なぜなら、友達に迷惑をかけたくなかったというのももちろんありますが、知っている人を巻き込むと世界にその人の存在が入ってしまい、そうすると自由自在にものを試すことができなくなるから。

だから私は2年前もじつにしめやかにひっそりと、誰にも相談することなく演技の学校のオーディションを受けました。

50を過ぎての手習いです。
しかも役者。
いかれています。

でも、きっとシニア枠の応募が少なかったんでしょう、けっこうな倍率の中から合格することができました。
けれども、私はそこで予想外の洗礼を受ける羽目になったのです。

*汝の名、それは「ゆとり」

いやあ、最初はびっくりしました。
生徒の大半は自分の子供くらいの年齢の人たちだったんですが、バブル世代の私にとって彼らはほとんど異星人。
最初は同じ日本人なのに喋っている言葉もわからなくて当惑する日々でした。

で、結論から言うと、みんな驚くほど良い子たちでした。しかも、みんな頭がいい。
私がはたちそこそこの頃なんて映画『2001年宇宙の旅』のモノリスに触る前のサルだったよ、とあるとき冗談めかして言ったら「オレ2001年生まれっす」という答えが返ってきて絶句しました。

まあつまりはそういうことなんですが、みんなよく勉強してるし、顔もスタイルもシュッとしていて見栄えのいい子が多い。わーなんかもう違う人種だなあ、私なんて出る幕ないや、などと昭和生まれの私は最初から白旗を思いきり上げていたのですが。

違和感を感じ始めたのは半年くらい過ぎた頃からでした。

うまく言えないんですが、たとえば、昭和生まれの私だったら10くらいは喜ぶところを、彼らはどう見ても3〜4くらいしか喜ばない。いや、喜んでないわけじゃないんだろうけど、なんというか、反応がうすい。あるいは、そんなように見えてしまう。

(あれ...これって、もしかして...ゆとり?)

世代を安易にひとくくりにするのはどうかと思いますが、なんでもLINEで済ませたがる傾向、ノリが悪い、プライベート重視、打たれ弱い、傷つきやすい、何事も斜に構えがち、などの特徴は確かに「ゆとり世代」と言われる人たちのそれにいちいちあてはまっておりました。

なにも今どきようかんをもらって大喜びする「サザエさん」のカツオ君のようになれとは言いませんが、私だったらそれもっと喜ぶだろうなあ...というシーンでも常温に見える。

若くして役者を志す人たちなんてどんだけギラギラしてるんだろう、と内心怯えていた私は、その思いがけずクールなノリに拍子抜けしてしまいました。

しかもそれでいてみんな、なんか自分に自信がない。能力がある子ほどそう。容姿端麗、英語ペラペラ、なのにイマイチ自信なし。特に一見自信満々に見える子ほどその傾向が強く、一皮むくと自己肯定感がやたらと低かったりするのです。

これは一体どういうわけだろう、と彼らの様子を見るうちに、私はあるひとつのことに気づきました。

*彼らは最初から絶望している

たとえば、なにか用があってLINEを送っても返事が来るのが24時間後だったりする。
私の周りで役者をやっている人たちは電話するとワンコールで出ます。もしくは30分以内に必ず折り返しかかってくる。売れているひとほどそう。なぜなら、チャンスの神様には前髪どころか産毛しかないって知ってるから。

だから、最初は彼らのそのノリの悪さが不思議でした。
この子たち、なんでこんなになんでもかんでも食いつきが悪いんだろうと。
でも、彼らの口癖とかを注意深く聞くうちに、ああ、そういうことか...と次第にわかってきたことがありました。

なんか、最初からみんなどっかで諦めているんです。
もちろん、役者を志してる以上、口では大きな夢や希望などを語ったりするんだけど、心のどこかで自分にはそんなの無理だと諦めているフシがある。
もしくは、そういうふうに教育されてるのか。
しかも、それは無意識レベルのことだから、本人たちも気づいてない。

全員とは言わないけど、見てるとそういう子が多かった。
これは実際、社会的に見てもゆゆしきことだと思うのです。

だけどそう考えると、彼らの昭和者の私から見てどこか消極的な感じとか、失敗を極度に恐れるあの感じもなんとなくわかる気がする。
考えてみれば彼らの世代って本当にかわいそうで、私たちの世代のように無邪気に失敗することができない。

私たちの頃ってなにか失敗してもアナログだから数日でみんな忘れるけど、デジタルネイティブの彼らは同じことやったらたちまち画像つきでSNSにあげられ、半永久的に全世界に自分の失敗が発信されてしまう。
その恐怖たるや計り知れず。想像もつきません。


...で、そんなこんなで先日、晴れて2年間のカリキュラムを終えて卒業することができた私ですが。
正直、彼らの欲のなさは、私にとっては居心地が良かったのも事実です。

なぜなら、私ははぐれバブルというか、ギラギラしたものに長年触れすぎ、いい加減嫌気がさしていたから。

*野心なんかございません

昨日、卒業後の面談を受けにひさしぶりに学校へ出かけてきたんですが。

部屋に入ると校長先生以下、お世話になった講師陣の先生方がずらりと並び、さながら名画『最後の晩餐』の様相を呈していました。
その前で、私は緊張しながらいろいろと質問を受けました。

「この2年間はいかがでしたか?」
「これからどうなさるおつもりですか?」
「何かこの学校に言いたいことはありますか?」


みんなこういう時、いったいどんな答えを返していくんだろう、と思いながら、私は発する言葉に嘘がないよう、おずおずとひとつずつ言葉を返していきました。
そしてそんな中、ふと気づきました、

私、昔、心に抱いていたような野心がまったくなくなっていることに。

野心、とはつまり私の場合、

ベストセラーを出したいとか、
なんとか賞が欲しいとか、
有名人になりたいとか、
億万長者になりたいとか、
テレビで引っ張りだこになりたいとか、

そんなようなことでした。

私の場合、昔はまず「プロの作家になりたい」というのがありました。それは運良くなれたんですが、そのあとがうまく続かなかった。

今思えばそれはただ単に私が「この道ひと筋」タイプの人間ではなかったということだったのですが、当時は次々と小説が発表できないことで胃に穴があくほど悩み、どうしてもっと頑張れないんだろう自分、とさんざんおのれを責めたものです。

もちろん「書く」こと自体は好きだったので(今でも好きです)、次第に小説だけでなくエッセイ、ゲームシナリオや映画やドラマの脚本など、活路を求めていろいろと模索しつつ活動の場を広げていったのですが、私の場合、どの分野でも身近に重戦車並みの馬力で作品を量産する人たちがいて、そういう人々を見てしまったことが私にとってひとつの悲劇でした。

それは例えていうなら、ケンカが強くなりたいとジムで鍛錬していたら、すぐ隣にラオウ様がいて500キロのバーベルを軽々と上げていたようなものです。

ああそうかいそうかい、と思いました。
私、この人たちほど頑張れないよって。

もちろん、隣にラオウ様がいようがケンシロウがいようがやる人は必ずやります。
でも、私はやる気になれなかった。
だから代わりに考えたんです。

一体何をどうしたら、私は本物の人間になることができるのだろうと。

この間若くして自死した女優さんが同じ口癖を持っていたそうで、ワカルー、とそれを聞いた時は恐れながら首がちぎれるほど頷きました。

*本物の人間になりたい

アーティストを志す人間なら誰しも願うことなのではないでしょうか。

亡くなった彼女もまた母親を始め、エベレスト級の山々に囲まれていた人間だった。
その重圧たるや、いかばかりのものだったことでしょう。

でも、こんなこと言ってはなんですが、私はその点、そういう重圧に潰されないスキル、みたいなものだけは、長年の間にいつしか身につけた気がします。

そのスキルとはズバリ「楽しむこと」。

これには誰の遠慮もいらない、と気づいたのはいつのことだったでしょう。

誰がなんと言おうと自分はいまこれをやっていて楽しい。その感覚を守っている限り、変な思考にはとらわれない。そのことに気づいた時、私はそれこそ目から鱗が落ちた思いだったのを覚えています。

すべてをすてて命をも顧みずなにかをやることなんてできない。
でも、地道にこつこつ楽しみながらなにかをやることならできる。


もちろん、これにはある種の図々しさが要ります。
この場合、昭和的な「人間、ひとつのことを愚直に全力で突き詰め、結果を大いに出してナンボ」という考えは有害です。
そういうことを強要する人のコミュニティは文字通りの戦場ですから、そういう気概がない人は近づかないほうがいい。
だけどそもそも、もうそういうことがまかり通る時代ではなくなってきてるのも事実です。

それに、その方法でもしいっぱい結果を出せたならそれはそれで素晴らしいことだけど、私はこれまで、いっぱい結果は出せたけども心身を壊してしまったり、つまらないスキャンダルで破滅してしまったり、ひと通りのことは成し遂げたけど虚ろな目をしていたり、「この道ひと筋」の「この道」自体の需要がなくなってしまった人をさんざん見てきた。

そしてそのたびに、いろいろと考えさせられました。

あーもう、幸せって一体なんなの? と。

それで結局、突き詰めると答えは下のようになったわけです。

幸せは人それぞれ。
自分にとっての幸せは自分にしかわからない。
だから、それをつかむにはとりあえず心の喜ぶことをしておけ。


これだけです。
もうほんとうに、これに尽きる。

だから私は、昨日の面談でも次のように答えました。

「2年間、とても楽しかったです。そしてこれからも楽しむつもりです」


そうしたら、校長先生のお答えは次のようなものでした。

「2年間、まるで子供のように無邪気に楽しんでおられましたね。私共もそんな紅緒さんを見ていてとても楽しかったわ」

霊長類ヒト科のメスに生まれついて半世紀余。

ああ、お母さん。
私はまだ、この歳になっても周囲の失笑を買っています。

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