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神に呪われた手

昔、私は煮干しというのは味噌汁の具だと思っていました。毎朝飲む味噌汁の中には必ず尾頭付きの煮干しが入っていたからです。

同様に、鳥の手羽先は生焼けの状態で食べるものだと信じていました。子供の頃から食卓にのぼる鳥の手羽先はそういう状態のものしか見たことがなく、かじると必ず血がしたたるレアな状態だったからです。

母は兼業主婦でした。保険の外交員をやりながら私たち子供に食事をつくっていたのですが、成長するにつれて私は母がひどく料理の下手な人だと気づきました。

私は別に料理が上手いとは自分で思っておりません。なにか食べたいものがあれば料理本をひらくかクックパッドで検索し、だいたい目分量でそれなりのものを適当に作ります。

通常、料理はレシピ通りにつくればよほど余計なことをしない限り常識的なものが出来上がります。
けれども、母はその料理が下手なひと特有の「余計なことをする」人でした。

だからカレーや野菜炒めという、誰がやってもそう大差のないものでさえ実に下手につくります。一度どうしてこんなにまずくできるのかとつくるところを見に行ったのですが、どうやら母はなべをさわっただけで大丈夫かと思うような変な味をつくってしまう天才なのです。
ギリシャ神話のミダス王じゃないですが、まさに「神に呪われた手」です。

母が一時期パウンドケーキ作りにはまったときも大変でした。なにしろ粉をふるうことをしないので、焼くと切断面が草間彌生の作品みたいな形状のものが出来上がります。
けれども、外でパウンドケーキを食べたことのなかった私は、その小麦粉のダマだらけのケーキをそういうものだと信じて食べていました。父がたまに買ってくる苺ショートとは別物だと思っていたのです。

このへんのDNAは妹が見事に受け継いでいます。彼女が初めて小学生のときハウスゼリエースという粉を湯煎でといて冷蔵庫に入れるだけの即席ゼリーをつくった際、湯煎の手間を省いて猫の舌みたいなザラザラした食感のものを完成させるのを見た私は、つくづく遺伝というものの恐ろしさを知ったものです。

そのうち私は自分で料理をするようになりました。母が作った生焼けの手羽先はフライパンで火を入れ直し、煮干しはちゃんと頭とワタをとってダシとして使うようになりました。母はなにも言いませんでした。おそらく自分がつくるものが正解ではないという自覚があったのでしょう。

あるとき職場の先輩の家に招かれ、母以上のすごい人に会いました。それは先輩の奥さんで、私たちのために心をこめてつくった手料理はどれも喉を通りませんでした。お邪魔した4人ともほとんど手をつけなかったので、決して私だけのワガママではなかったと思います。

帰り際、同僚のひとりが「あんなまずいものを食べたのは生まれて初めてだ」と言いました。なんてひどいことを言うやつだろうと思ったけど、私たち全員そう思っていたのでなにも言えませんでした。先輩の奥さんは専業主婦でした。先輩はとても温厚で聡明な方だったと記憶してます。

母は優秀な保険外交員でした。先輩の奥さんはレース編みが得意でした。妹は大手百貨店の管理職で、観葉植物を育てるのが上手です。いわゆる緑の指というやつです。

だから、みんなべつに料理なんかしなくてもよかったのです。全部DNAのせいなんですから、神に祝福された手の領域だけで勝負していればよかったのです。 こと料理に関するかぎり、神に呪われた手の持ち主は存在します。でもいま一度言いますが、それは決して本人のせいなんかではないのです。

それでもなんにでも良い側面というものはあるもので、私は子供時代、学校給食を残したことが一度もありません。一度もです。
なぜなら大抵のものはうちで出されるものよりは美味しかったからで、だからこんなまずいものは食べられないわ、と完食するまで教室に残されていた良家のお嬢さん方を尻目に、私はさっさと教室を出て昼休みを満喫しておりました。

しかも、生焼けの手羽先を食べて育ったせいか私は免疫力がついたらしく、先日健康診断に行ったら肝臓のあたりに寄生虫を自力で退治した痕跡があると言われました。まさに『はたらく細胞』です。好酸球さんありがとう。

ちなみに幼少の頃から尾頭付きの味噌汁の煮干しを毎日食べて育ったせいか、この年になるまで一度も骨折したこともありません。すべては呪われた手の祝福です。でも肉はよく焼いて食べます。

#コラム #佐伯紅緒 #エッセイ #メシマズ #グルメ

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