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不安にならないための処方せん

運が悪けりゃ死ぬだけさ、と父は言った

2001年3月、ロシアの宇宙ステーション「ミール」が日本に落下するかも、というニュースが流れた時、父は不安がっている私を尻目にひとりごとのように言った。

「そんときゃ、みんなで死ぬまでさ」

私は驚いた。それまで父のことを『鬼滅の刃』の善逸もビックリのビビリと知っていたからだ。だから、そんな父がいきなり昭和のドラマ『俺たちは天使だ!』みたいなことを言い出したときは本当に驚いた。お父さん、どうしちゃったの? なにか変なものでも食べた?

「運が悪けりゃ死ぬだけさ」

なんであのとき、父はしれっとあんなことを言い出したのだろう。なにしろ小指の先を切って血が出ただけでも大騒ぎするような人だったのだ。

でも今、コロナ騒ぎでこんな状況になってみて、なんとなく、あの時の父の気持ちが理解できたような気がする。

あれは思うに父の意志というより、父の生命体としてのDNAレベルの発言だったのだ。

人の心はいちどに2つ以上のことでは悩めない

前回、コロナに関してまとまった文章を書いたとき(3月20日)は、まだここまで(4月17日時点)状況が悪化していなかった。だから今読み返してみて、あーまだまだ認識が甘かったな、とすごく反省している。

私は臆病な父に「運が悪けりゃ死ぬだけさ」と言われたとき、正直「私は死にたくない」と思った。
人を道連れにしないで欲しい。どうして抗わないのか、と思ったのだ。

でも、かつて臆病な父にそう言わしめたあの不思議なDNAが、いま自分の中でも日々活性化しつつあるのをひしひしと感じている。 

諦めたわけではない。
心の正直な声にまかせて大きな流れに乗った方が、かえって物事は最終的にはうまくいくんじゃないか、と思ったのだ。

人は、自分の力ではどうにもならないことに出くわしたとき、思いもよらなかった強さがふいに飛び出てくることがある。
「火事場の馬鹿力」というやつだ。でも見てると、それは劇的に来るというより、天啓みたいにフッと降りてくることが多いみたいだ。

だから今、多少の不安が襲うことはあっても、私は心のうちでは「まあ、なるようにしかならんわ」みたいに開き直ってしまっている。
もちろん、これは万全の注意をした上での開き直りだ。

今は可能な限りの情報をとり、マスク手指消毒キープディスタンスを始め、たぶん、罹らないために必要とされることはあらかた全部やっている。

でも、この開き直りは私の心と身体をたいそう健康にしてくれた。なにしろ、もともと生活がリモートワーカーみたいなものなので、こんなときに自宅でじっとしていろ、と言われてもノーダメージなのである。

こんなときインドア派は便利だ。不便なのは気分転換にカフェに行けなくなったことくらいで、むしろ、家でひたすら自炊しているので栄養のバランスがすこぶる良くなり、外で飲みに出歩いていた時より体調がいいくらいだ。

そして心の方も、これまでウジウジと抱えていたすべての悩みがコロナ問題に置き換えられ、コロナ禍(コロナウズと読む人が多いらしいね)の前よりもむしろ安定した。

そう、人の心はいってみればトコロテン製造機みたいなもので、ひとつの悩みを突っ込めば前の悩みが外に押し出される。いちどに2つ以上のことでは悩めないようにできているらしい。

かあさん、僕のあの悩み、いったいどこへ行ったんでしょうね。
まさに『人間の証明』である。

今元気なのはもともと引きこもりの人たち

こんなこと書くと佐伯さんは生活の心配がないから、と言われそうだけど、それはたぶん関係ない。なぜなら私は生活の心配が大いにあった頃からこんな感じだったからだ。

面倒くさいので詳細ははぶくけど、人間、いったん開き直ってしまえば大抵のことはどうにかなる。そう思った方が気がラクだし、実際、どうにかなってきた。

もちろん、今この事態で毎日会社に出勤しなけりゃいけない人たちとか、最前線でコロナと戦っている医療関係の人たちには大変申し訳ないと思っている。こんな時、自宅にじっとしていられること自体が幸せ以外の何物でもないからだ。

ただ、そのことを一度考えだすとたちまち罪悪感で心のバランスが崩れるので、今は自分にできることをした上、どうにもならないことにはそっといくばくかのお布施をした上であえて「鈍」に徹している。

冷たいように聞こえるけれどそうじゃない。まず自分の心身をオッケーにしておかないと、いざというとき、他人様を助けることなんてできないからだ。

御身お大切に、は決して利己的なことじゃない。まず自分をオッケーにし、余力で他者貢献するための最善策なのだ。
戦いは常に、長期戦を念頭に置いて行動しなければならないのである。

そして、テレワーク身分だからこそ考えられることがある。私たちは皆これからどうしたらいいのか、どうすればこの事態を切り抜けられるか。それは自宅に引きこもる余裕のある人たちこそが考えられることだろう。

そんな中で気がついたのは、いま情緒不安定になっているのは普段人との交流が多い人たちであり、むしろ、これまで社会に適応できずくさったり自室に引きこもったりしていた人たちの方が、意外と今のこの非常事態を冷静に受け止めているということだ。

先日も外を散歩していたら、明らかに引きこもり20年選手といった風の男性を見かけた。
彼は頼りないハンドルさばきでキコキコと自転車を漕ぎながら、いかにも物珍しそうな面持ちで下界をキョロキョロ見回していた。
まさに漫画『バスタブに乗った兄弟』の兄様を地でいくような光景だった。
彼の目には、今のこの事態がどんなふうに映っているんだろう。

大事なのは問題の明確化

78年周期説というのをこの間読んだ本で知った。
藤井青銅『日本人はなぜ破局への道をたどるのか? 日本近現代史を支配する「78年周期法則」』(ワニブックスplus新書)という本である。

それによると、この国では昔から78年ごとに大事件が起こっており、それによって根本からリセットされているというのだ。

前回が太平洋戦争、前々回が明治維新。
両方とも、それにより価値観が180度変わるレベルの大転換が起こっている。
そして計算通りにいけば、次にそれが起こるのは2020年だというのだ。

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