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あけぼの荘 2-た号室


僕の兄はケンタウロスである。
いつからとか、は、覚えてない。
気がついたらそうだったのだ。
家のタンスの一番上の引き出しに手が届き、目線が届いた時にはすでにそうだった。

兄は一人暮らしをしている。
この街の大きな通りの端っこにある、あけぼの荘という木造のアパートでだ。
蔦の生い茂る、森に飲み込まれそうなこの古めかしい建物はいつ来ても、少し、身構えてしまう。
鳴いてないカラスが鳴いてそうな気さえする。
急に薄暗くなって、風もなんだか強くなったかと錯覚しそうな、そんな場所である。

何故このような場所に毎週末足を運ぶのかというと、兄の生存確認の為である。

押してもならないチャイムは無視して鍵を開け、中に入る。

部屋は簡単な作りで、畳の敷いてある一間と簡素な台所だけだ。
兄は僕の姿を目視すると、いつものように不機嫌そうな顔で冷蔵庫を指差す。(蹄ではない。)

開けるとそこには、いつものようにラップのかかったチャーハンとヤクルトが入っている。
兄はチャーハンだけ作るのが上手い。
とてもぱらぱらなのだ。そんけいする。

兄は敷き布団の上に器用に脚を折り曲げ、平べったい布団を被り、ゲームをしている。これもいつもの事だ。
兄がゲームをしている間に、僕は温めたチャーハンを食べる。
いつものようにぱらぱらのチャーハンは美味しい。お腹を空かせた僕にはもっと美味しく感じる。
ちょうど食べ終わるのと同じくらいに、くたくたのパジャマを着た兄が布団から出てくる。

「今日はどこ行こっか。」
「…スーパーで、特売をしているんだ。」
「お、駅前の?」
「…そうだ。卵はお一人様1パックまでだ。」


くたくたのパジャマから、くたくたのシャツに着替えた兄と夕暮れの道を歩く。
人通りは少なく、帰り道を行く人々とすれ違う。
そんなに珍しくもないのに、兄は周りからの目線を気にして歩く。
大きな身体を小さくして、蹄の音も静かに静かに、僕の隣を歩くのだ。

兄の背中は大きいが、幼い僕には見覚えのない背中で、
沢山の荷物を背負えるけれど、僕はもう、おんぶをしてもらえない。
あの背中に抱きつきたくても、跳び箱のジャンプ台を持って来なきゃだし、彼のずっとずっと遠くを見る目線の先に、きっと僕の目の高さは届かない。

戻って欲しい、と、思う時もほんのたまにあるけれど、
相変わらずチャーハンは美味しいし、オレンジ色の空の下で、兄と歩くこの道のりが好きだ。

「おい、見てみろ。いわし雲だ。」
「え?」
「明日は雨だな。」
「…それはこまる。」
「どうしてだ。」
「…明日は兄さんの布団を干しにこようと思っていたんだ。」
「……。」
「それが出来ないのは、こまる。」
「…別に干せなくても死ぬわけじゃないし、俺は平気だ。」
「僕がやなの。…昨日お母さんに干してもらった布団がふかふかだったんだよ。兄さんの布団は煎餅みたいじゃないか。」
「そうか?」
「干すととてもいい匂いがするし、気持ちよくて、ぐっすり眠れるんだよ。だから干したかったのに。」
「……今度晴れてる時に干しとくよ。」
「僕が!干したかったんだよ。」
「……………じゃあ、明日は俺のブラッシングをしても良いよ。」
「本当!?」


やったーと叫んだ声は薄っすら青みがかった空に消えていった。
僕は兄の身体のブラッシングが好きだ。ツヤツヤになっていくのが目に見えてわかるから。
思わず兄の手を取ってしまった。

あ、しまったかと思ったが、兄にはふりほどかれなかった。
数年ぶりに繋いだ手は、少し大きくなったはずの僕の手より大きくて、ちょっと湿ってた。
変わってない兄の手が、ちょっとばかし嬉しくて、少しスキップをした。





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