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まほろばの人々


雨が上がった。
水分を多く含んだ空気を胸いっぱい吸い込むと、小学校の時にプールで溺れたあの時を思い出す。
雲の隙間からは光が差し込んできて幻想的な風景を作り出しているが、相変わらず憂鬱とした気分は変わらない。
天使の梯子とか言ったっけ。今まで天使が降りてきたところは見たことはないが。

通り雨を通り越して水辺までやってくると、その橋が見えてくる。
木製の古びた「夢浮橋」を渡るとその町は見えてくる。

まほろば町、白昼夢路通り。

誰が呼んだか、いつ頃からあるのか、誰にもわからないし、誰も問おうともしない。
その街には人々が棲み、思い思いの生活を営んでいる。
今日も誰かしらの生活の声が聞こえてくる。
誰かの家は今日はカレーだろうか。
あの子にとっての水溜りは果てしない冒険の始まりなのだろうか。
お風呂屋さんの前の香りは懐かしく愛おしい。

手に持ったコーヒーは冷め、口を付けるとぬるい苦味が喉元を通り抜ける。
雑踏の中、夫々が棲家に帰っていく。
道の脇で遊ぶ子供達の影が伸びる。
私は街灯にポツポツとオレンジの光が灯っているこの時間がとても好きである。

近くの駅前のベルの音が鳴り、視界がどんどん後ろに遠のいていく。
白昼夢をみているような感覚に囚われ、開いている筈の目蓋が閉じているような錯覚に襲われる。

ああ、今日も夢を見る。
私はこの夢を文章に起こすのが仕事である。
青黒の滲むペンで歪な文字を丁寧に丁寧に並べていくのだ。

気がつくと、ドアの前にいた。
私の棲家だ。

今見ている夢を壊さないよう、途切れないようそっと部屋に入る。
醒めないことを祈りながら、私は微睡みを始めるのだ。





#小説 #まほろば町白昼夢路通り #短編

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