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ほたるちゃんのディナーショー



毎年、梅雨の終わりを知る頃に、この街の端にある森の入り口でショーが開催される。
薄ら汗ばんだ夜の間、一週間だけ幕が開くのだ。


夕暮れから青ばみ、辺りが薄暗くなって来た頃、人は各々の椅子を持ってやってくる。
森の入り口の近くにある泉のほとりを見守るように椅子を並べて座り、周りと談笑しつつ時を待つ。
観客のドレスコードはひとつだけ。会場に着いたら灯りをつけないこと。
あとは食べ物を持ち込んでも、お酒を飲んでも、粧し込んだスーツでも華やかなドレスでも草臥れたジャージでもなんでも良い。

ガヤガヤとしていた客席がふと静まり返る。

ふと闇が眼前を覆ったかと思うと、それはおもむろに始まる。
ぽうっとした光が見える。
それを持つ輪郭が見え始めるとともに、か細くも力強い歌声が聞こえ始める。
ほたるちゃんのディナーショーの始まりである。




街の外れにある地下のジャズバー「蠢蠢」では、毎夜のように街の音楽家達が音を響かせている。


「蟻塚さん、今日はあのこはどうだい?」

常連の一人がウイスキーグラスを片手にマスターに呼びかける。

「そうだねい。今年のほたるは、期待できるよ。」

ヒョロリと背の高い、黒い癖毛のマスターはそう答えると、黙々とカウンターの奥でグラスを磨き続ける少女を眼鏡の中の小さな目で見やる。


艶やかな黒髪を肩で切りそろえた彼女を皆「ほたる」と呼ぶ。
普段は無口で無表情な彼女だが、本職は歌手のようだ。
このバーでは変わった決まり事があり、閉店後、音楽設備を練習場として貸し出している。
貸し出す条件は三つだけ、音楽が好きなこと。そして夏の始まる季節の七日間の夜、泉のほとりのステージに立ち、歌を唄うこと。

一年間、地下に潜るように過ごした後、初夏のほんの一週間だけ舞台上で光を浴びることが出来るのだ。


今宵も深い時間、バーを閉めた後ほたるは独り歌を唄う。
いよいよほたるは明日、地上に出るのだ。


「どうだい、ほたるよ。調子の方は。」
「マスター。私ドキドキしています。明日、私は名の通り、光を放つ蛍となります。」


目の奥と仄かに光らせる彼女は小柄な身を硬くしながら答えた。





最初は風の音かと思ったが、それは確かに人の声で音だった。
一本の糸のように細く、しなやかに強い旋律が、湿気のある夜の空気を通り抜ける。
彼女が手に持つ提燈は、蛍のように光りを放ち水面のステージを揺れ動く。
夏の夜の虫の音と、ジャスバー「蠢蠢」の楽器隊の背景音楽が漂う中の、小さな灯火は強く輝くようで。


七日間続くこのショーは、最終日の七日目が一際人気がある。
最後の光を振り絞るように、声を絞り出し、光を放つほたるちゃんの姿を、皆見に来るのだ。


このショーに立てる条件の三つめは、終わりを作ろうとしていること。
長く夢見た夢を終わらせようとしている人のみが、このステージに立つことが出来る。
この七日目が終わると、ある種人生が終わり、始まる。
流れ星が燃えるように、人のある時の流れが燃え尽きる様を観客は見に来るのだ。

それはそれは圧巻で、切なくて、喉の奥がキュッと締まるような、胸がグッとつまるような、初恋のような、季節の終わりのような、葬いのような思いが巡る。




唄を紡ぐ彼女の姿は、暗闇の中で小さく灯る提燈を持つ手元しか見えず、顔も姿も影でしかない。何処の誰なのかは誰も知られないまま、蛍としての生涯を経て行く。

水上のステージを移ろう姿は本当に蛍のようで、観客は見失わないように眼を凝らし、耳を傾ける。

今年の夏もほたるちゃんは、夜空の一等星のように、静かな時の流れを作るのだ。



ほたるちゃんの七日間の命は、大きな拍手の中で散っていった。

大きく怖ろしい怪物のような森の木々にその喝采は吸い込まれ、翌日には皆日常へと戻って行く。

明日からほたるちゃんはほたるちゃんで無くなるのだ。

何処の誰だかわからない彼女は、新たな彼女となり、自身の終わりを経て、はじまりを始める。今日もこっそり何処かで彼女は、彼女の日々を過ごしている。


そして新たなほたるちゃんが生まれる。

これから一年地下で夢見るほたるちゃんが、街外れのバーのドアをノックする。

そのドアがベルを鳴らし小さく開くのを、マスターは変わらぬ表情で迎え入れるのだ。



「いらっしゃいませ。」







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