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脱出しよう…そこは失敗だらけの迷路



はじめに

 はじめてnoteを書いていくことにいたしました。
 思い立ったが吉日ということで、今日は思っていたことと自己紹介代わりにちょっとだけ書いてみたいと思います。
 本当に今まで何度失敗だらけの迷路にはまったのかは自分でも把握できないほどの回数です。
 学校生活や家庭における自分…そして今も失敗を繰り返し辿り着いたのがこのnoteです。
 こんな人間でもターニングポイントが何度もありましたが、その選択を間違えていれば…その都度迷路にはまっては抜け出せなくなります。
 現在も迷路にいるような状態ですが、そんな中でも私が実際にこれだと思えた実績や、どん底まで落ちて本当に爪に火を点すような生活まで強いられたこともある中で掴んできたもの。
 それを私のnoteで少しずつご紹介させてください。
 少しでもあなたの心の中に何かが残るようなことがあれば幸いです。

学生時代の私


ご多聞に漏れず不登校

 私は不登校…登校拒否といった方が正しいかも知れません。
 気が付けば朝になっていて学校へ行く時間になると決まって頭痛や腹痛に悩まされ熱が出ますが、学校に休む旨の電話を終えたら熱が下がり体調もよくなるという…本当に登校拒否もはなはだしい時期がありました。
 当時は不登校などという言葉はなく、登校拒否児童などという呼ばれようです…問題児という偏見もありましたが、現代のような柔らかい表現すらありませんでした。
 児童相談所も登校拒否だからという理由で、相談という名目で強制連行されたこともありました。
 それでものらりくらりと時間を過ごしつつも波瀾万丈な小~中学生活を送って育ってきたのです。


残念過ぎる高校生活

 当時は曲がるだけ根性も持ち合わせてはおらず、自己主張はするものの反対されるとすぐに心が折れてしまい高校受験も高専か工業高校と言っていたのに普通高校へと進学し、結局は部活が唯一の楽しみになりました。
 文章を書くことは昔から大好きでした。
 そのため、部活も新聞局に入り、先輩は3年生だけで廃部寸前だったのは今でも記憶に新しいままです。
 自己表現も可能な場所が登校拒否児童だった私にも拓けたと思って過ごして居られたのも一年生の時だけでした。
 一年生の時は登校のバス車内で三年の先輩から突然理不尽に殴る蹴るの暴行を一方的にされ、内臓破裂寸前になったこともありました。
 両親は本当に激怒し警察に通報すると学校に電話をし怒鳴っておりましたが、就職も決まってる相手の将来を駄目にして逆恨みされるよりも笑えない過去にしてしまった方がいいのと、そういう愚行は後から必ず自分に戻ってくるものだと通報するのをやめてもらいました。
 そこまでの怪我を負ったのですが、10日程度で登校できるように回復し、その先輩をいつでも地獄に落とせるんだぞ?と脅しながら楽しく過ごしていました。
 しかし二年生になったある日、修学旅行の実行委員を決めることになりました。
 こういう場合絶対に決まらないのが女の方ですね…担任が一人ずつ名前を呼びますが「無理」「イヤです」と次々と断っていけていたのに、私が名前を呼ばれた瞬間に終業のチャイムが鳴り、即座に「嫌です、新聞局もあるので!!」と断ったのにもかかわらず、担任から「チャイムが鳴ったからお前やれ!!」と勝手に決められてしまいました。
 その態度にキレた私は休み時間になる度に担任を追い回して「ふざけんなって!!待てコラ!!」と叫ぶのですが、担任は逃げ回るといういたちごっこの繰り返しです。
 この状態だけを見ていれば、単に態度と言葉遣いが悪い不良生徒として扱われますよね…知らない間に母親が教頭から呼び出しをくらっておりました。
 そして究極の登校拒否が始まりました、出席日数23日で遅刻早退28日…修学旅行の日数も出席日数に含まれておりますが、当然ながら留年確定です。
 実は休学届や退学届を事務室へ行き用紙をもらおうと何度も足を運びましたが、常に渡せないとの回答…担任や教頭などの根回し十分で私は仕方無く無断欠席を続けることになりました。
 学校へ行かないダメな娘に母親を泣かせ続けることにもなってしまいました、そんなある日の夕方保健室の先生が家を訪ねて来たのです。
 先生どうしたの?と普通に尋ねると、担任が一緒に来ているけれど私がキレるのが怖いと車で待っていることを伝えられて怒鳴りにいこうかと思いましたが、母親が保健室の先生が運転して来た車まで出向いていきました。
 そしてずっと泣いていた母親が一言「あんな情けない先生が担任だったんだね、もう学校なんか行かなくていいよ、呆れて口が塞がらない!!」と憤慨しておりました。
 そこまで保護者を怒らせる担任も滅多にいるものではないと思いますが、母親の態度がいきなり豹変したのは今でも鮮明に覚えています。



留年・自主退学と高校編入

 自堕落な一年を過ごし留年してそのまま学校へ行くか、それとも別の高校へ編入するかの選択を迫られました。
 父親が転勤になって札幌で単身赴任中、私は北海道の片田舎で通学しておりましたので、札幌の学校へ行った方がいいと思い退学届をようやく貰い札幌の公立高校へと編入することになりました。
 もうこの時点で私は相当すさんでおり、不良やヤンキーなどと呼ばれる部類の人間になっておりましたので、編入した学校も通信制高校の普通科で家で勉強をしてレポートを提出しつつ、たまに学校へ行き授業を受けて単位を修得していくというものでした。
 適当にアルバイトをしながらぼちぼち通う学校、車の免許も自由に取れるし制服もなく校内に喫煙室もある高校で、年齢層もバラバラ…学習したいと思っている人が働きながらでも通うための高校。
 私も好き放題にぼちぼちアルバイトをしつつ通信課題と登校という、本当に楽な毎日を過ごしておりました。
 要は不登校の極み、アルバイトをしながら学校へほとんど行かずに勉強できて高校が卒業できる、なんて効率的な公立高校。(笑)
 そんな私がこの頃に…今でもしているタロット占い師への道を歩むことにもなりました。
 悩んでいるどうしようもない同年代の友人が増えてしまったのですが、なんとかアドバイスできないか…しかも私の雑な押し付けの理論ではなく…なにかしらの裏付けのあるもの。
 それがタロット占いでした。

おわりに


この後の破滅的な人生

 ここからを本格的にnoteで紹介していきたいと思っております。
 今では授かり婚といいますが、昔はできちゃった婚という駄目夫との結婚生活とタロット占い師としての私…そして父親の逝去。
 その父親の逝去で死ぬ気だった私を救ってくれた男性のところに転がり込み生きることを選択した私。
 しかし、病気を発症して働けなくなったのを機にその男性は浮気、元旦那は理解を示さずキ〇✕扱いをされて耐えられず調停離婚…本当に何もかも失い私はメンタルクリニックへの通院をはじめ、20年目になった生活保護受給者として生きていること。
 ざっとこれから書いていこうと思う内容を箇条書きのように書いてしまいましたが、いつもそんなに可愛いとか美人でもない私のそばにほぼ男性が一緒にいるという、あざと可愛く生きる方法などもご紹介させていただけたらと思います。


現在の私自身と生活

 突如、コピーライターを目指して学習しております。
 本当は趣味であったことのライターを目指したかったり、色々な声を出せることから声優になりたいと思ったこともあったのです。
 昔は本当に東京近郊に住んでいないと無理な職業でしたが、今はネット社会ということから文章能力を向上させるためにオンラインスクールにてコピーライターと行動心理学を学んでおります。
 タロット占い師としても30年以上になり、当初は暇つぶしに始めたアクセサリー制作やパワーストーンのアクセサリーやブレスレット制作などもはじめたのです。
 後にタロット占いでも色々な結果が出てきますが、その時お守り代わりに希望の方に対してはほぼ材料費+送料のみで作成もはじめました。
 しかし私は文章を書くことが大好きなので、(現在も横目で解説が聞いてても痛快なイケボな男性のゲーム解説をYouTubeで見ながら書いておりましたが、きちんと書いているつもりですが。(笑))ライターとして生きつつも、タロット占いは続けていくつもりです。
 そのような内容も本当にタロット占いの勉強をしたい方や、面白おかしく解説をして占いの本質をご理解いただければ、なるほどね!となるようなお話もさせていただけたらと思っております。

 私自身の自己紹介を兼ねて、これからnoteに書いていこうと思っていることを少しご紹介させていただきました。
 もしよろしければTwitterの方からでも、この話がまず知りたいということをお伝えいただければ、私自身にとっては一番の励みになりますし執筆も捗るのではないかと思います。

このような私ですが、これからよろしくお願いいたします。
自己紹介にしては長すぎるものになってしまいましたが、少しでも私のことを知っていただけたらと思って少し深堀りしつつ書かせていただきました。
現在もまだこの迷路の中でもがいておりますが、脱出できる日まで頑張っていこうと思っています。

このような駄文でしたが、また次のnoteでお会いしましょう。



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