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庭には植えたつもりのないものの方が多く育っている:断捨離で見つけた大切なこと

庭には植えたつもりのないものの方が多く育っている。
(スペインのことわざ、訳:「クリミナル・マインド」より)

妙に心に残っている言葉。
何気ない場面で見聞きしたのに、
それでいて不思議なタイミングで、
すとん、と腑に落ちる瞬間があります。

初めての断捨離

断捨離をすると心も軽くなると聞き、
この年末の大掃除では、
いつもより思い切って、色々捨ててみることにしました。

まずは、明らかに不要な物を捨てていく。
そして、必要かもしれないとは思いつつ、
心に絡まった、余分なものにまつわる物を捨てていく。
なるほど、これは、
思いの外、気持ちがスッキリするものだな。

こうして、序盤、
順調に捨て始めたはいいけれど、
だんだんわかってきたことがある。
——— どうやら、私は、断捨離がとっても下手らしい。

意外と物が減ってくれないのです。

思いの外、大切にしてきたこと

家の荷物をひっくり返してみたものの、
「古いからいらない」物がほとんどないことに気づいた。
なんだかどれも大切で、
捨てると思うと、なんだかとても心が痛んだ。

そう言えば、
昔からあまり流行に左右されず、
自分の感覚で好きなモノを選ぶところがあるかもしれない、と、ふと思う。
これだけ、周りからどう思われるのかを気にする自分が、
不思議とここにはいないようだった。

植えたもの、植えていないもの


手仕事が好き。
シンプルだけど、どこか歪なものが好き。
長く使うと味の出るものが好きで、
お直しをしたら、
余計に好きになるのがなんだかとても気に入っている。

そんな風にして、たくさんのものを使っているし、
気に入って聞いた音楽のCDは、今でも時折聞いている。

付箋だらけの本に
雑誌の切り抜きのスクラップブック。
今でも色褪せないのはなんでかな。

そう思いながら整理を進めていると、
かえって目に付く物の存在 ———

土を耕し、頑張って肥料にしようとしたものたちは、
どうも私の土にはなじめずに、いまだ異物としてそこにあるようだった。

少し頑固な土壌にも、育つものは確かにあった

失敗が嫌いで、臆病な自分。
初めからできるわけもないのに、
立派な形にしないと始められない自分。

タネをまこうと作り始めては途中で投げ出して、
“立派な花壇になるはずだった何か”がそこにはあるようだった。

ただ、そうしてモタモタしている内に後ろでは、
自然と顔を出している芽があって、
気づけば、しなやかに伸びる根があった。

——— あぁ、そうか。
と、思った。

前より少し軽やかに、
目の前のものと向き合えるような気がした。

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