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【百人一首】滝の糸は(五五・大納言公任)

滝の糸は絶(たえ)て久しくなりぬれど名こそながれてなをきこえけれ
(五五・大納言公任)

【解釈】

嵯峨、大覚寺の滝の流れは途絶えてずいぶん経ってしまったけれど、その名声だけは流れ伝わり続けて、今なお私たちにも聞こえていることだ。

いいですね。美しいです。
個人的には僧正遍照や清原深養父などと並んで、百人一首で好きな歌ベスト5に入ります。作者は四条大納言、藤原公任です。

ちなみに千載集などでは最初の句を「滝の音は」と伝えています。こちらで覚えている人も多いかもしれません。

出典は拾遺集 雑上 四四九。
詞書は「大学(覚)寺に人々あまたまかりたりけるにふるきたきをよみ侍りける」とあります。大覚寺が嵯峨上皇の離宮であった時代に流れていたという見事な滝も、公任の時代にはすでに絶えていました。

さて、中身。

名こそ流れてなお聞こえけれ。
「な」をこれでもかと重ねてたたみかけるリズムは完全にラップの世界。雅でありながら、今なお熱いヒップホップ感があります。

さらに「滝」「絶え」「流れ」「聞こえ」と縁語も多用。意味は分かりやすく言い回しはさりげなく、さすがの技巧です。

藤原公任は「三舟の才」の逸話もあるように、和歌と漢詩に加えて音楽のセンスも抜群、という多才な人でした。

政治的にはトップにはなりませんでしたが、彼の和歌は1,000年後の私たちにも読み継がれ、愛されています。

それはまさに、名こそ流れてなお聞こえけれ、の世界。
滝の流れが枯れていつしか途絶えてしまっても、公任が亡くなって1,000年経っても、美しい歌の響きは今なお流れ伝わり、残っているのだなと思うのです。

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