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【百人一首】(ちぎりおきし/七五 ・藤原基俊)
契(ちぎり)をきしさせもが露を命にてあはれことしの秋もいぬめり
(七五・藤原基俊)
【解釈】
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さしも草の歌で約束してくださった言葉を信じて、命と思って頼りにしてきたというのに、何とまあ今年の秋もむなしく過ぎていきます。
大切な約束をあっさりスルーされて恨みごとが止まらない。そんな歌です。
出典は「千載集」雑上 一〇二三。
作者は藤原基俊(ふじわらの・もととし)。11世紀後半ごろの人で、七四の歌を詠んだ源俊頼と並ぶ歌の名手でした。
何となくはかない恋の歌かと思っていたのですが、違うようです。
一定の知識がないとさっぱり分からないタイプの作品ですね。
藤原基俊の息子は、奈良の興福寺の僧侶でした。
興福寺で毎年10月に行われる維摩(ゆいま)講に、講師として息子を取り立ててもらおうと思っていた基俊。
さきの太政大臣である藤原忠通に頼んだところ「しめぢが原」との返答を得ました。
これは古今集にある
「なほ頼めしめぢが原のさしも草われ世の中にあらむ限りは」
という歌を踏まえたもので、私を頼りにしておけば大丈夫だ、というような意味でしょう。
その言葉を信じていたのに、いざ秋になると自分の息子は採用されなかった。あれほど頼みにしていたのに、と悔しく虚しい思いを詠んだのがこの歌です。
かの大岡信さんは「平安期の親ばかの歌」とバッサリ斬っておられます。
最近の言葉で言うならばモンペの歌、でしょうか。
改めて読み返してみても、子を思う気持ちというよりはクレーマーっぽさが感じられてほんのり怖い。
恨みつらみ言われても知らんがなという感じだけど、この歌が百人一首に選ばれたのはなぜなのかしら。技巧的に優れているということなのかな。
若い頃の藤原俊成が基俊に歌を習っていたと言われているので、大師匠の作品として入れない訳にはいかなかったのしら。
語感というか響きだけは美しく、雅な雰囲気がありますね。
それにしても、もっと他にいい歌あったのでは、という気もするけれど。
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