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【百人一首】(あらし吹く/六九 ・能因法師)
あらし吹く三室(みむろ)の山のもみぢ葉は龍田(たつた)の川のにしきなりけり
(六九・能因法師)
【解釈】
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一面の紅葉を吹き下ろす山風が吹いている三室山。散り落ちた葉が竜田川を彩る錦となっている。
出典は後拾遺集 秋下 三六六。内裏で行われた歌合せの席で詠まれたものであるという詞書がついています。
作者は能因法師(のういんほうし)。
文章博士というインテリ役人であったのにふらりと出家、あちこち旅して歩いたというちょっと不思議な人です。
松尾芭蕉が旅人のパイセンとして能因法師を大いにリスペクトしていたと言われています。
さて、歌の中身。
三室山は奈良県生駒郡斑鳩町にある神奈備山(かんなびやま)のこと。現代でも紅葉の美しい場所なのだそうです。
そして立田川と言えば、在原業平も詠んだ紅葉の名所です。神奈備山のふもとを流れていて、大和川の上流にあたります。
三室山一面に広がった、真っ盛りの紅葉。落ちた葉が竜田川の水面を覆い尽くして、ゆっくりと流れていく。鮮やかな赤を思わせるビジュアル的な派手さ、華やかさが際立ちます。
ただ、何と言ったらいいのかな。個人的には、ゴージャスすぎてかえって薄っぺらい感じが出ているような気もするのです。
これでもかとストレートに詠むのではなく、どこかを少し引き算するとか、もの淋しさみたいなものを匂わせてくれてもいいのに、と感じてしまいます。
なんて思うのは、陰翳礼讃的な価値観に寄りすぎているのかな。
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