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やっぱり、わかりません 〜ゴリゴリの文系の私が 「科学」にぶつかった話〜

スマホの画面を時折確認しながら、授業終わりの教授が現れるのを待っていた。8年間の社会人生活の間で、時間を確認するのはもっぱらスマホかPCの画面。いつの間にか時計をしない生活になっていた。あぁ、腕時計をしてこればよかった、そう思う時はあっても、今日が終わる頃にはそんなことを考えていたことすら忘れてしまう。

この冬、新卒から8年間勤務した会社を退職した。22歳だった私は、30歳になった。とても大きな会社で待遇は安定していたし、上司には可愛がってもらい、後輩にも恵まれ、とても充実した時間だったと思う。

・・・というのは本当なのだけれど、それだけじゃなかったのが事実だ。

誰が悪いとかっていう話ではない。ただただ、「社会」という大きくて得体の知れないものに覆われ、モヤモヤが重なってしまうことが多かった。決められた価値の中で、決められた自分になっていくことのしんどさを、毎日のように感じていた。

大学4年生の春、内定者で集まる飲み会があった。その日、後の同期となる男子に言われた「総合職で入社するなんて、婚期が遅れるね」という言葉を、今でも忘れていない。

知り合って日の浅い相手だ。「は?うるさいんだけど」と冗談を2割くらい交えて言い返したものの、帰宅してからも腹が立って仕方がなくその夜はむしゃくしゃして眠れなかったのは、「たしかにそうかもしれないな」と思う自分がいたからだ。

「総合職で入社する女は、結婚できない」

そんな言葉を、聞いたことはあった。そしてたしかに、総合職の女性社員で結婚して家庭を持っている女性をあまり多くは見かけたことがなかったのだ。

「へー、〇〇さんは、バリバリ働きたいんだ?」
「結婚しても、働き続けたいって思うの?」
「転勤とか嫌じゃないの?すごいねー」

就活の間、多くの人からそんな言葉をかけられては、なんでそんな質問をされなきゃならないのかと思いつつも、そんな質問をしたくなる気持ちも理解できてしまった。わかるよ。聞きたくなるよね。だって、両立してる人、いないもんね。なんでわざわざそんな茨の道を進むのって、不思議だよね。

正解はもちろん、「結婚しても、バリバリ働きたいです!転勤もひとつの経験だと思いますし、私にやらせていただけることがあれば、なんでもやってみたいと思います」だった。こう言うと、大抵のオトナは「ガッツがあるねー、いいじゃんいいじゃん」と、良い評価をつけてくれるのだった。

けれど本音はこれだ。「結婚するかどうかもわからないのに、今そんなこと聞かれてもわかりません。だってそもそも、結婚するかどうかと、バリバリ働くかどうかって関係あるんですか?しかも、バリバリ働く、って、どういう意味なんですかね。バリバリ、の意味がよくわからないです。それに、転勤はしたくありません。住む場所やタイミングは自分で決めたいです。誰だってそうですよね。でも、自分がやってみたいと思う仕事や職種は全国転勤があるものばかりだから、仕方なくこの職種を受けているんです。全国転勤したくないって言ったら、一般職っていう名前の職種を選ぶしかなくて、ひとつの支店でだいたい同じ仕事をするしかないんですよね、ずっと。一生懸命長いこと働いても、大してお給料も変わらないんですよね。それは嫌なんです。それだけなんです。」

こんなことを言ったら、受からないこと間違いなしだった。

悲しいかな、それくらいの分別がついてしまっていた私は、もちろん「正解」の方の答弁を繰り返し、内定をゲットした。東日本大震災から2ヶ月が経った頃だった。震災直後に内定をもらえるだけありがたいんだと思い、二つ返事で入社を決めた。

総合職で入社したことが功を奏したのか、色々な仕事を自由にさせてもらったと思う。女性が少ないからか、色々な面で期待もかけてもらった。待遇もよかったんだと思う。ただ、就活の頃から抱いていた違和感は、拭えることはなかった。この会社に対して、と言うよりは、社会に対しての違和感だった。

入社から8年経って、入社してくる女性社員はだいぶ増えた。女性活躍推進、という耳にタコができるくらい使い古された言葉のもとに採用者数が増えたのだと思うけれど、当たり前だが私より上の世代の女性が増えることはない。相変わらず上司も同僚も男性だらけで、まるで私が会社の思い通りの仕事をして活躍するかどうかがうちの会社の将来の男女比率に関係してくるのだぞ、と日々言われているような気がしていた。自意識過剰といえばそれまでなのだけれど、本当にそんな雰囲気なのだ。大きくて伝統的で、良くも悪くも今の日本で影響力のある会社であればあるほど。

入社したての社員たちの反応は、もっとわかりやすかった。男性たちは特に、だ。入社して1年や2年で辞める社員が多くなってきていた。オトナたちは「今の若い世代は」と決まり文句のように言っていたし、どっぷり8年浸かった私もそう思うときがなかったといえば嘘になるけれど、それでも、何かが変わってきているんだろうな、とは思った。

どんな嫌なことがあっても、やりたくない仕事でも、住みたくない土地でも、家族のため世間体のため根性でやりきることが是とされている社会はもう変わってきたのかもしれないな、と。そして、それに気づいていない、もしくは気づいていてもどうにも変われない会社が多いのだろうな、ということも。

変わっていくことと、変わらないこと。それらを身をもって感じてしまった私は、会社を辞めることにした。愚痴を言いながらもなんとか自分の機嫌を取りながら働き続ける強さを私は持ち合わせていなかったし、それを変えようとするならば、一度「当事者」ではない立場にならないといけないのかもしれない、と思ったからだ。

そうして、大学院の門を叩くことに決めた。「当事者」の経験を持ったまま客観的な知識や見解を持ち合わせたかった。

「誰もが生きやすい・働きやすい社会」にしたい。

そう意気込んで臨んだ大学院受験は、山あり谷ありどころか、谷だらけだった。大学院受験でもっとも重要な「研究計画書」というものが、まるで書けない。「研究計画書」ってそもそもどんなものなのかが、わからない。周りに大学院に通っている人もいない。分量にして紙っぺら1枚の、短いものだ。日々こうして書いている文章より、ずっとずっと短い。それが、書けないのだ。

それもそのはず、私は「学問」というものに本気で向き合ったことが、多分あまりなかった。要領よくこなしてしまったタイプだと思う。大学時代も、幸い卒論を書く必要がなかった。テストのための勉強は時々していたけれど、まともに何かの問題を解決しようと思って、勉強をしてきていないのだ。

途方に暮れた私は、でもとりあえずなんとか一枚書き上げて、手探りでアポを取り、そして会いに行ったある教授から、こんなことを言われた。

「えーっと、志望動機はわかりました。・・・で、何を研究したいんですか?」

研究計画書だ!と思って書いた私の紙っぺら一枚には、どうやら「志望動機」が書かれていたらしかった。

頭の中のもう一人のわたしがズッコケるくらいには言葉が出なかった。「何を研究したいんですか?」という当たり前の質問に対する返事が出てこない自分にびっくりした。あぁ、出直してきます・・・そう言いかけた瞬間、ダメ押しの二発目がきた。

「科学っていうのはねぇ、事実を解明することなんですよ。だから、どんな事実を解明したいのか、っていうことを、聞いてるんです。あなたは何を、解明したいんですか?」

1ラウンドKO、という感じだった。

事実を解明すること。そう。考えていることを主張することでも、感じたことを表現することでもない。事実を、解明する。それが、私が学ぼうとしている分野「社会科学」らしかった。

私が解明したい事実って、なんなんだろうか。

KOで傷だらけの身体にムチを打って、どうにかこうにか考えて、色々な教授に会いに行った。

「同調圧力の強い会社は、生産性が低いと思うんです」と言うと、「同調圧力が強いか弱いかって、どうやって証明するおつもりなんですか?」と言われて、撃沈した。

「キャリアブランクは、その後の労働に不利になるべきじゃないと思うんです」と言うと、「そもそも、何をもってキャリアブランクと呼ぶんですかねぇ」と言われて、その通りだ、と思った。

1ラリーも続かないのだ。

こんな風に一つ一つのパンチを真正面からくらいながら、どうにかこうにかA4一枚の「研究計画書」を完成させた。そして、この春から、私は大学院に入学する。

30歳にして通う、学校だ。
4月に入学するが、新型コロナウィルスの影響で、授業開始は遅れるらしい。

先日、私を指導してくださる教授から、メールがきた。

新型コロナウィルスの影響で、留学生からの入学辞退が相次いでいるようです。うちの研究室の入学者も、どうなるかわかりません。

あぁ、そうだよなぁ。仕方ないことではあるけれど、私の同級生になるひとと、できれば会いたいなぁ。

そういえば受験前に研究室を見学に行ったとき、23歳前後の学生たちをみて、至極安心したことを思い出した。会社にいたら新入社員として指導しなければいけないような年齢の人たちに対して、私は何も指導しなくていい。そう思ったら、心底ホッとしたのだ。横一列、一緒に学んでいけばいい。それって、ものすごく贅沢で、そしてオトナにとって必要なことだと思った。

メールの最後には、こんなことも書かれていた。

授業開始まで少し時間がありますので、その間に研究を進めておいてください。アドバイス等、必要なことがあれば遠慮なくご連絡ください。

・・・せ、せんせい。研究って、どうやって進めるんですか・・・?

さっそく、わからないことだらけだ。また、パンチをくらい続ける日々なんだろう。

でも今は「わかりません」と言ってもいい。

わからないなぁ、と思いながらも「わかりました」と言い続ける日々よりも、ずっと幸せだと思う。わかるようなわからないようなことを、「うーん、やっぱり、わかりません」そう言える幸せを、噛み締めていきたい。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。