即興2.6: 治水

例のようにモヤモヤしている。
そういう時は、雑文をリズミカルに垂れ流して、わけのわからぬ頭の中を整理することにしよう。一発書き、推敲はしない。勢いで流れゆくままに、なにかが流れ出てくる。

あれこれ考えすぎて、知りすぎて、知識が増えすぎると、むしろ重くなると最近感じる。言葉でそれを知ったつもりになれば、もうそれを見たり聞いたり、五感で感じる必然性がなくなる。子どものころ、手を動かす理科の実験や工作が大好きだったけれど、学校で勉強する数学や理科はあまりに抽象的で、すぐ興味を失った。言葉は生活や肉体から離れて、どんどん抽象の世界へと離れていく。そのなかに閉じこもるのが好きな人もいるだろう。けれど、僕はそれを息苦しく思う。

今日、街は珍しく雪化粧をしている。甍のうえに降り積もった白雪が、曇天の光を照り返し、太陽の顔が見えずとも街は明るい。この雪は、どれくらいで融けるかわからない。でもたしかに融ける。疲れて頭に溜まった余計な知識も、雪のように融けて、水のようにとうとうと流れ出しますように。

滞りを流したい。風と水のように、流れてゆくもの。言葉は流れを堰き止めて形を整える。それは流れを治水する。溢れることはない安心感、と思いきや窮屈だったりもする。東京の街の中には、蓋をかけられたかつての水路が、暗渠と呼ばれて縦横無尽に走っている。治水され安定したコンクリート板の下に、野生の流れが唸っているのか。水の静かな熱に見習いたい。暗渠を撮りながら歩き、浮かんだ言葉を書き留めて、写真集を作るのは面白そうだ。

疲れたのでこの辺で筆を置く。

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