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時空に漂う見えない種

福岡アジア美術館へ、「世界水泳選手権2023福岡大会記念展 水のアジア」を見に行った。アジア各国の8名の作家が作る、「水」をテーマにした作品が展示されていた。

不思議なことになぜか、息継ぎしないと呼吸が苦しく感じた!なにここ。
それだけ各作品の力に飲み込まれていたのかもしれない。

目を引くインスタレーション作品や絵画どれも素晴らしかったのだけれど、やはり福岡在住の作家、山内光枝さんの映像作品に引きずり込まれた。


山内光枝さんの映像作品より

山内さんは時々、いいかねPaletteで作品制作をされているみたいで、見かけて挨拶したりする。作品の内容については、ぜひ実物を見て味わってもらいたいので、言わないでおく。

歴史に残る大まかな事柄、敗戦や侵略、虐殺に隠れている、小さな小さな人同士の営みや関係性、小さな心の揺らぎ、真実は人の数だけあるのだし、その小さな積み重ねが今の自分に繋がっているのだなあと思った。

目に見えない国同士の境界、人同士の境界がある。

境界って、硬くなくって薄いビニールみたいな感じなのかもしれないなあ。
触れるとふわっと揺らいだりする。
思いのベールみたいな。
ちょっと良い表現が見つからないけど。何せ言語化が下手なので。

世界中の国境が、薄いベールのカーテンみたいだったらどうだろうか。
個人と個人の感情の揺らぎでたゆたうような。

やっぱり収集つかなくなるのかな。

話がぐちゃぐちゃになったけど、私は、山内さんの作品を見て、感極まって涙したわけですが、語り継がれていない誰かの思いが、それは想像出来ないくらいに多く、時空に漂っているなと感じたのです。

生きている私はそれをどう受け止め繋いでいくのか。
そんなことを考えたのでした。

私の母方のひいおばあちゃんは、香春岳城の城主の原田家から嫁いできたという話をおばあちゃんが生きていた頃、というか死ぬ直前に何度も何度もしていた気がする。
原田家は男はみな名前に「種」という字が入る。
男は苗字も変わらないし、名前に「種」が入ることで一目瞭然である。

女は、

ひいおばあちゃんは嫁いで近藤になったし、おばあちゃんは嫁いで井手口になったし、お母さんは嫁いで佐土嶋になったし、私は嫁いで高木になった。

語り継がれていない、時空に漂う女たちの見えない「種」を私は受け止めて繋いでいかなくてはいけないのかな、と思ったりもした。


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