新卒で蹴って棚田に関わっている若者が見ている棚田の『これまで』と『これから』〜なぜ棚田を残すことに挑戦するのか?〜
日本に住んでいるのであれば棚田って言葉を一度は聞いたことはあるのではないでしょうか?
「段々になっている田んぼでしょ?」
「見たことあるよ〜」
もし、棚田って聞いたことあるか聞いたらこんな感じになっているのではないでしょうか?なんなら田舎を周っていて観光スポットとかでよく見かける方なのではないかなと思います。
観光地になるくらいなので景観として美しい棚田も多くあります。なので、棚田と聞くと『きれいな場所』とか『景勝地』と思っている方も多くいると思います。
そんな棚田の現状はかなり厳しい現状です。今、棚田に求められている価値というのが変化して来ていると感じております。今回は『これまでの棚田に求められていたもの』と『これからの棚田に求められていること』を書いていければと思います。
最初に結論
今までの棚田のことを話していると長くなりそうなので最初に結論を述べさせていただきます。
棚田に求められてきているものは間違いなく変わってきています。簡単に言うとズバリこれ!
要はお米を作っているだけの時代は終わってきているのではないかなと考えています。もちろんですが、だからといってお米を作るのが「ダメだ」とか「やめたほうがいい」とかを言っているつもりはないです。
棚田という場所ではお米を作る以上の価値を見出していかないと生きていけないいうのが結論です。しかし、お米以上の価値に関してはまだ答えがはっきりしているわけではないと思います。
ただその中でもボクとして一つわかったことは何かを表現していく場所として価値があるのではないかなと考えています。
これまでの棚田に求められていたもの
昔は、間違いなくお米を作って行く生産的な部分が求められていたと思っています。
ただ、それも"里山"が生活の場所であり、生産の場所として機能していた戦後はじめくらいまでの話なのかなと思っています。
かつては生活していく上で必要なエネルギー、食糧などその他もろもろの何から何まで里山を利用して得ていました。その上で、里山が中心の生活の中で必要な炭水化物を作っていたのが棚田になります。その時は棚田というのが里山の中でしっかりと役割があったものだと思います。
炊事をするのにも里山の木々を使っていたし、なにか道具を作るにしても里山にあった竹などの材料を使っていました。里山にいることで様々なメリットがあったと思います。そのため、生活をしていく中で必要な炭水化物を作る方法として棚田が今でも日本の全国各地で見られています。
しかし、現在を見てみれば里山に住む人はごく僅か、ご飯を作るときに薪でやっている人もほとんど見ませんよね?お風呂はいるけど、それも厳密に言えば、お風呂は生きていく上で絶対に必要な優先順位は低いと思います。かなりハードコアな意見だと思いますが…ただ言いたいのは生活のすべてを里山の暮らしで享受している人は昔よりもほとんど居ないということです。
そういった意味でも必然と里山に居なくても良くなっていく。必然と棚田でお米を作るよりも平地で生産性を求めていったほうが良くなってくる。しかも棚田はこれ以上、お米を作るというだけの生産性は上がることは殆どないのではないかなと思っています。これは棚田に2,3年関わっている若者の意見なので絶対ではないですが、それぞれの田んぼで形も違うし何なら同じ大きな機械が入る場所がなかったりと機械での生産性の効率は上がらないのではないかなと思っています。そこまでコストをかけて棚田専用機を作れば別ですが、かけられない…と感じています。
だからこそ、冒頭でも延べたお米を作る生産の棚田って価値は少なくなってきている。
これからの棚田に求められているもの
じゃあ、これからの棚田に求められているものって何なの?って話になりますよね。正直ここからは棚田に2,3年程度しか関われておらず、なんならまともに美味しいお米を作れているわけでもない24歳ナマイキな若造の見解になります。ご容赦を…
ボクは、『お米を作る生産の棚田』から『里山や棚田を使って何かを表現をしていく場所や空間としての価値』が高まっていくのではないかと思っています。
棚田って管理してみたのですが、正直、普段食べるお米を生産するには割にあわないんです…働いている人で言えば土日を返上で急斜面の草刈りをして2,3日に一回くらいは水を見に行かないと行けない。それも田植えや稲刈りの作業をするときは機械が入らない場所もある。
ボクがお世話になっている棚田じじいに言わせれば
実際問題、本当にそんな現状です。ボクも地域おこし協力隊をやってなければこの地域に住んでいけるの結構厳しいんじゃないかなと思っています。
だからこそ、棚田を生業として生きていくことは相当、難しいと思います。
ただ、そんな現場で「あ、これだ」と思った一言もあります。
あ、なるほど…この棚田でお米を作るというのは、もう生活のスタイルとか表現の領域に来ているんだ。おばあちゃんは可愛い孫に毎年お米を送ってやるというある種”生きがい”って言葉でも表せるかと思います。ただ、そこには自分たちがお米を作ってお金を得るため以上の価値があると思って、棚田でお米を作っているんです。
それで思ったのは棚田でお米を作るには岩首に住んでいないと難しいし、岩首という暮らしがそもそも一つの表現やスタイルとして確立しているんだと…
だからこそ、里山や棚田という空間や場所を使ってお米を作ること自体に表現的な何かがあるのではないかと考えています。実際に棚田は岩首の中で何代も何代も農作業を続けてきたある種、砂漠のピラミットのような巨大建造物でもあるのではないかなと思っています。しかもそれ自体が今も遺産としてだけでなく機能として生活に残ってやり続けている。だから、ボクは棚田は人が作り上げてきた立派な作品の一つだと感じることがあります。
棚田に求められてきているものもお米作る以上のものになってきていると思っています。棚田という場所は何かを表現する場所でもあってそれについてこれからの棚田は里山の暮らしをする上でも棚田をやることによって様々なことに挑戦をしていかないと行けないんだと感じています。
岩首談義所って団体で表現したいもの
今回はすみませんが、新潟県佐渡市岩首で活動する我々が表現して行きたいと思っていることで〆させていただきます。
ただ、他の棚田地域でまたいろいろな表現があると思います。岩首ではこんな感じというのを参考になればと…
僕ら岩首談義所が里山や棚田で表現していきたいものはいくつかあります。
①新しい棚田の価値を生む表現
これは棚田をお米を作る以外の価値を生み出して行きましょうという取り組みの1つです。『棚田でやりたい100のこと』という企画をやっております。これはまだまだ未完成で遂行中なのですが、今まで棚田でやったことのなさそうなことをたくさんやってみるという企画です。今までにこんなことをやってまいりました。
などなど。これからも棚田でいろいろなことをやってみるという企画をやっていければと思います。
その中で一つでも棚田でやったら楽しいことが見つかってそれを一つの表現として出来たらいいなと考えています。
②里山のある岩首の暮らし
これはまだまだ具体的にこう!とは言えないのですが、里山があって今の岩首があったという暮らしのスタイルを表現していきたいというのがあります。岩首の暮らしを見ていると今もまだ里山があってこその暮らしの名残が見えてきています。棚田もその一つです。棚田があったからこの地域に人が住めていたのもそうですし、岩首の鬼太鼓もその一つだと思います。
集落の人から聞いたわけでは有りませんが岩首の鬼太鼓は佐渡の他の地域の鬼太鼓と比べて腰を落とした動きが多いです。それも棚田への上り下りをしていた歴史があってこそなのかなとも思っています。(正確な情報ではないかもしれませんが…)ただ、9月の岩首例大祭が終わると稲刈りが始まるという慣習があったりと繋がりはあるのだと思います。
その中で岩首の暮らしやスタイルを表現した体験や製品を作っていくことがこれから棚田を残していくための価値になっていくのではないかと思っています。
例えばこんな感じのものです。
最後に
これから棚田はお米を作っていくだけではどれだけ棚田米を高く売っても残していけないとわたしたちは感じております。もちろん、できるだけ高く売る方法は模索していく必要があると思います。ただ、それにも限界があって棚田のお米作って販売する以上の価値を何らかで見つけていかない行けないのが現状です。その一つとして棚田でお米を作るということを表現やスタイルとして解釈して棚田の新しい価値を生み出していくことが大切なのかなと思っています。
そんなことを今岩首談義所という組織でやろうとしています。
ただ、その岩首談義所が今変化のタイミングに来ており、今回のオンラインで岩首談義所の方向性を示していければと思っています。ぜひ、参加していただけたら幸いです。よろしくおねがいします。
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