見出し画像

見えなくても確かにそこにいる誰か

私が初めてインターネットで画面の向こうの知らない人とやり取りしたのは、中学生の頃だった。今から15年ほど前。

正確に言うと「私が」ではなく、「私の友人が」チャットしているのを横で見ていただけなのだが。その時の衝撃は今でも覚えている。

今回は、そんなインターネットにまつわる思い出話。と、SNS時代を生きる今の話。


分厚いデスクトップPCの思い出

私が小学生だった頃から、我が家にも分厚いパソコンがあった。OSはWindows95か98だったか。キーボードで文字を打つのが楽しくて、夢中で練習していた。wordで文書を書いてフロッピーディスクに保存するのが好きだった。懐かしすぎて震える。

ほかにはマインスイーパや、ズンビーニ、マルチあきんどなどといったPCゲームで遊んだ記憶がある。これについては後日別の記事でじっくり語らせていただきたい。

そんなわけで、文書作成、写真加工、PCゲーム、といった使い方しかしていなかった私。当初はインターネットに繋ぐことなくパソコンライフを送っていた。


初めてのインターネット

小学校高学年になると、パソコンの使い方を学ぶ授業が始まった。インターネットで調べ物をしてwordでまとめるといったようなものだ。

当時、「スーパー正男」というブラウザゲームが大流行し、授業中や放課後にこっそり遊んでいた。他にもうさぎにリンゴを拾わせるゲームや暗算シューティングゲームもあったような気がするのだが、詳細が思い出せないのが残念である。

そんなこんなで小学校で初めてネットに触れ、自宅でも電子メールをやり取りすることが可能となった。私にとっては、この電子メールがPC上での初めての会話ツールだ。

とはいえ自宅にパソコンがある子は当時まだ珍しく、メールを送れる相手は2〜3人に留まっていた。

そんな小学校時代を経て、私は中学生になった。


垣間見たチャットの闇

その数少ない電子メール相手である、友ちゃん(仮名)の家で、チャット(掲示板?)を見せてもらった時のこと。

見せてもらった画面上には、いわゆる「厨二ネーム」と呼ばれるようなハンドルネームの人達が集まっていた。「卍HIKARU卍」とか「凶▼獅子」とかそういう感じの痛い名前だ。

友ちゃんは、慣れた手つきでキーボードを叩いた。見知らぬ人同士での会話が始まる。

「学校終わったー」「お疲れー」といった感じだったと思う。それだけでも、電子メール止まりの私には衝撃だった。文章を送ると、即座に返事が返ってくる。それも複数人から。

最初は、一人一人に挨拶を返していく形で、しばらくしたら他愛もない会話に移行していったと思う。特に仲が良い男性がいるとかで、友ちゃんはその人と頻繁にやり取りしていた。

そんな時だ。「黒蝶」という名の女が攻撃的な言葉を投げてきたのは。「お前調子乗ってんなよ」みたいな一言だったと思う。

さすがに15年前のことなので、会話までは覚えていないのだが、私はその瞬間心臓が凍るような思いがした。今日初めてネットで挨拶した相手が、そんな悪態を吐くなんて信じられなかった。

友ちゃんも「はぁ?何この女」と思ったのか、次第にやり取りはヒートアップしていった。ギスギスした言葉の応酬。

初めはハラハラしていた私も、最終的には「このムカつく女にもっと言ってやんな、友ちゃん!」みたいな域まで達してしまった。この自分の心境の変化を、よく覚えている。

リアルタイムで画面の向こうに知らない人がいるという経験をしたのは、この時が初めて。そういった人達と悪口を言い合うという経験をしたのも、この時が初めてだった。というか、最初で最後だった。


そして世は大SNS時代へ

高校生でガラケーを入手してからは、ますますネットは身近なものになった。メールは毎日やり取りしていたし、掲示板にも自分から飛び込んでいったりした。

例の黒蝶悪口ギスギス事件があったせいで(お陰でというべきか)、私はなるべく攻撃的なやり取りが生まれないように、「ワンクリック募金」という平和な掲示板に常駐していた。そこは、クリックするだけで募金が出来るサイトの紹介と、本日のクリック完了報告をするだけの地味な場所だ。それでも、知らない誰かと同じことを共有している感覚が楽しかった。

大学生になるとmixiが最盛期を迎え、数々の黒歴史日記を積み上げた。数年後には自分の書いたポエム紛いの日記に耐え切れずアカウントごと消した。

mixiをやめてからは、FacebookとTwitterが主流になった。Twitterではなかなかヘビーな修羅場を迎えたことがあり、黒蝶事件の時のように攻撃的な自分が出してしまったこともある。幸いにもそれを指摘して叱ってくれるフォロワーさんがいてくれて、私はそこでようやくネットリテラシーを獲得した。

当たり前のことなのだが、お互い顔も名前も知らない相手だからといって、どんな言葉でも投げかけていいというわけではない

画面の向こうには、確かに人がいるのだ。書かれた文字の向こうには、誰かの心がある。相手が何か失言をしたからといって、その数十文字がその人の全てであるかのように攻撃するなんて間違っている。

この感覚は、もしかしたら誰かに教わるだけではピンとこないのかもしれない。そう思ってしまうほど、SNS上では恐ろしい言葉の応酬が毎日、毎時間、毎秒のように行われている。

私は一度誰かを傷付けそうになり、それを止めて叱ってくれる人がいて、反省できた。もしそんな人が周りにいてくれなかったら、私はこの広いネットの海で弱者の顔を塩水に押さえつける行為を続けていたのかもしれない。

自分がそんな人間にはならなかったであろうと信じたいが、SNSの匿名性は人をどう変えてしまうか分からない。

始めたばかりのこのnoteの世界も、匿名で記事を書いている人が大勢いる。私はSNSが好きだし、今後もうまく付き合っていきたいと思う。そのためにも常に意識し続けるのは、画面の向こうにいる会ったこともないあなたの心だ。

たとえ会ったことがなくても、本名を知らずとも、あなたの心がこのインターネットの世界で傷付くことがありませんように。


この記事が参加している募集

はじめてのインターネット

ApplePencil購入資金、もしくは息子に酢だこさん太郎を買い与える資金になります。