躁もくるしい

この記事は数日前に書いたものです、それではどうぞ、よろしくお願いします。


音楽に合わせて身体を動かすだけでとんでもなく楽しい、でもそのあと虚無がおとずれて虚無を下回って落ち込みも感じて辛くなることを知っているからあんまり歌わない踊らない揺れない。
躁鬱って言っても病状は人によって違うしどうなるかは千差万別人それぞれこの記事はそんな人間もいるんだねって寛容に許容してくれるとうれしいな最近手帳の申請しました。

ハイなのに不安で落ち着かないし、全能感で現実の壁に激突していっつも痛いし、それでもなにかしないとなにも変わらないから。
躁でも落ち込む、寧ろ落差が辛いなんて理解してもらえるのかな、躁だ鬱だなんて本当は自己判断したくないしつかないから情緒が不安定なんだと公言するようにしている、そこまで言った上でやっぱり躁の時も不安だし落ち込むってことが言いたいこと。

躁の時のハイを知ってると向精神薬とかの上向きよりコントロール効かないもっとアッパーな感じがして、お薬に過度な憧れなんてなくて、むしろ不可逆的な不都合な部分をすこしでも減らして乱用とかはしたくないなって気持ちになることを昔小説っぽくして吐き出したっけ、あー吐き出したらすこし満足してきた、一旦買い物に行こう、トランクスが足りないんだ、もっと買い足したい、シャワーを浴びていざという時に替えられるという安心感、保険があるとうれしいんだ、ちょっと脈絡なさ過ぎかな、僕の中では繋がっているのだけれど。

帰ってきた、もう数時間経つ、トランクスは買えなかった、欲しい価格帯にMサイズしかなかった、高いのも色が好みじゃなかった、それに疲れちゃったんだ。
カードケース(財布)が落ちていた、直ぐに交番に届けた。
最初、連絡先が入っているか開けてみたら、クレジットカードだけが入っていた、めんどくさい、だってさ、これどうせ落としたことに気づいた本人は自分で停止してるだろうし、仮に届けてる間に現場に探しにきちゃうかもしれないし、交番の場所調べたら僕の目的地とは反対方向に1kmも離れたところにしか交番ないの、つまりは持ち主もそこまで取りにいかなきゃならないし、僕は自分の主目的(トランクスを買う)がかなり遠ざかる、でもこれもし放っておいたらクレジット停止前に誰かが拾って悪用して使っちゃう可能性もあるんでしょ、はぁ……しかもね、クレカしか入ってないからなんか抜いたとか疑われても嫌だし、クレカの裏が結構傷だらけだったのよ、こんな人とは関わり合いになりたくないな、なんて考えながら僕は1km離れた交番に向かいました、あっ、一応保身の為にカードケース触る前に場所と物の写真をスマホで撮りました、実際それは役に立ったよ。

交番に着くとなんか微妙な対応されてしまった、「僕はこういうの初めてなんですけれど」って最初にちゃんと伝えたんだけれどね、なんか2つぐらい権利があることを言われたのだけれど、権利の内容が理解できなかったしなんかとにかく微妙な対応でイマイチな気分になった僕はなにもいらないのでと言って紙に記入した。なんの因果かわからないけれど、たぶんあの人過去の記事で登場した秘匿ですって言った人と同じ人だったと思う(違ったらごめんなさい)その時点で、なんでまた嫌な思いしてんだろう、嫌なこと思い出すし、みたいな苦痛を感じていました、そんで不本意に動揺した僕は無駄に愛想笑いなんかしちゃって、交番出るとき、ありがとうございますとか返してたよ、いやいや流石に僕はなんにもありがたくない、あーでもお気をつけてくらいは言われた気がする、苦手な人でも名誉ぐらいは守りたい、あと途中で話した人はとても優しかったです、あー話ぐちゃぐちゃ、適当に結論まとめると、
落とし物を交番に届けたら、現場の住所と拾った時刻がわかると今回はいい感じでした。
前述した通り、持ち主とは関わりたくなかったので一切の連絡は不要と伝えました、それに今どきのこでもないけれど僕も携帯なっても怖いだけだから、わざわざ怖いもの増やす意味が僕には無かったから。
そういえば僕が昔学生時代にアルバイトで稼いだ8万円が入った長財布を落とした時は、結局みつからなかったな、それから大金は持ち歩かないようになった、長財布も買ってない、見栄よりもリスク管理、お金はお母さんが助けてくれた気がする、優しい、ありがとう。

その後はトランクス買えなくて、百均行って欲しいもの買い揃えて、疲れたなあなんて思ってたら結局6kmぐらい歩いたらしい、位置情報ゲームの記録だから誤差はあるかもしれないけれど、僕の疲労感は本物。

さて、とはいえこんなことぐだぐだと書き殴るぐらいには、僕のアタマは今もぐるぐるで気は逸る、音楽を聴けば身体は揺れる、口を閉じれば頭の中では物事を忙しなく考えるし、なにも考えなければ動き回りたい気分にかられる。
ここまでの情報量はみんな無駄でしょうか、でもやっぱり僕には一連の繋がったものなんですね、生きてきた時間の連続性なんです、どれか一つ欠けても僕のこの日記の文章には至らなかったのですから。


余談
今日の僕
ああ、この記事投稿しようかなって迷ってる、本当は昨日投稿するつもりだった、でも気持ちは毎日小さくとも変化してしまう、もう応対してくれた人への嫌な気持ちは薄れているし、強いて新しいもの事柄を付け足すなら、横着して切れていなかった爪が、当日足先が細めのスニーカーを履いた弊害で横の指に刺さりとても痛い、バンドエイドを貼り替えているがまだ痛い、足の爪を切ろうと思ってエグいことになっているのに気づくのだから、僕の抜け具合は自分のことながら苦い気持ちになる。
またなにか気が向いたら来年も記事書いてみます、良いお年を。