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サイケデリクスざっくり解説part1

はじめに

 こんにちは、$ADです。当シリーズでは幻覚剤についてざっくりと解説していきます。「ざっくり」ですので難しい話や細かい部分は省いています。ご了承ください。

サイケデリクス(幻覚剤)とは何ぞや?

 この記事を書くにあたって、そもそも幻覚剤とは何なのかについて簡単に説明させていただきたい。幻覚剤は文字通り脳神経系に作用して幻覚を引き起こさせる向精神薬のことである。典型的な幻覚剤にはLSD、シロシビン、メスカリン、DMTなどがあり場合によってはMDMAも含まれる。この記事では主にLSD、マジックマッシュルーム(シロシビン)について取り上げていく。

むかしむかし…

 幻覚剤は紀元前よりネイティブアメリカンや中南米の先住民により宗教儀式や医療に使われてきた。アメリカ中西部やメキシコではメスカリンを含むペヨーテは生や乾燥させて食され、ペルーではメスカリンを含むサンペドロが摂取されてきた。アマゾンのシャーマンは植物を煮出してアヤワスカと呼ばれるお茶を作ってきたが、アヤワスカにはDMTやハルミンが含まれる。またメキシコやインドではマジックマッシュルームが儀式や医療に用いられてきた。

 16世紀に入り中南米諸国がスペインによって植民地化されるとマジックマッシュルームなどの幻覚剤はカトリック教会により規制が進められた。20世紀に入り化学が発展していくとともに幻覚剤の成分抽出や化学合成、研究は急速に進んでいくこととなる。メスカリンの発見、合成やMDMAの合成などから始まった幻覚剤の研究はサイケデリクスの父といわれるアルバート・ホフマン氏によって革命が起きることになる。

リゼルグ酸ジエチルアミド

 1927年に大学を卒業した後スイスのサンド社(現ノバルティスグループ)に勤務していたホフマンは循環器系を刺激する物質を見つけるべく麦角アルカロイドの成分を合成するプロジェクトに取り組んでいた。麦角は主に小麦やライ麦に寄生する菌であり古くから産婆がお産の促進や止血に麦角を利用されてきた。そのためサンド社は麦角アルカロイドから商品化できる薬効成分の分離を期待していた。

 1938年の秋、ホフマンは一連の成分合成の中で25番目にできた物質をリゼルグ酸ジエチルアミド、LSD‐25と名付けた。しかし動物実験では期待していた結果は得られず、棚上げにされ表に出ることはなかった。

 時は過ぎ五年後、1943年4月のある日様々な偶然が重なりホフマンは革命を起こすこととなる。ホフマンはふと妙な予感を感じ、LSD-25について再検討する気になった。本来将来性のない物質は廃棄されるのだが、ホフマンはLSDの化学構造が気に入り、LSDの隠された性質を感じていた。更に、改めてLSD-25を合成した際さらなる偶然が起きた。普段なら麦角のような毒性物質を扱う場合細心の注意を払うのだが、ホフマンはどういう訳か直に接触してしまった。手元が狂ったのだという。

 ホフマンは帰宅し、ソファに横たわった。視覚に入るものは婉曲し色彩や光は鮮やかな世界を創り出し、万華鏡のような世界が音と共に流れていった。こうして第二次世界大戦が続く暗い世界に中立国スイスで世界初のLSDトリップが行われたのだった。

 LSDの世界に夢中になったホフマンは、数日後、自分自身を実験台にすることにした。ホフマンはグラスの水にLSDを0.25ミリグラム溶かして飲んだ。こうして世界初のバッド・アシッド・トリップが始まった。気分が悪いので帰宅すると助手に伝え、なんとか自転車を漕いで自宅にたどり着くと、助手が呼んでくれた医者を待つ間横になっていた。こんにち毎年4月19日は自転車デーとして祝われることになる。こうしてリゼルグ酸ジエチルアミド、LSDは世に誕生した。

もう一つの功績

 LSD誕生ののちホフマンはもう一つ大きな功績を残した。マジックマッシュルームに含まれる幻覚成分であるシロシビン(サイロシビン)とシロシンの発見である。

 1955年5月末、JPモルガン銀行副頭取だったロバート・ゴードン・ワッソンとフランスの国立歴史博物館所長の菌学者ロジェ・エイムはメキシコのマサテコ族のマジックマッシュルームを用いた儀式に参加した。その後エイムはマジックマッシュルームを研究室で栽培し、人工栽培に適していることが確認された。フランスとアメリカの製薬会社がその成分の抽出に興味を示したが成果はなかった。

 1956年ホフマンはワッソンに関する新聞記事を読み、マジックマッシュルームに関心を持つ。翌年、エイムの依頼によりホフマンはマジックマッシュルームの研究を行うことになった。しかし成果はなく、成分が失われた可能性を疑ったホフマンは自らを実験台にした。そこでホフマンはマジックマッシュルームでのトリップを経験することになる。そして最新の分留法により成分を純粋な状態に精製、2種類の分子構造をシロシビン(サイロシビン)とシロシンと名付けた。

 1957年、アメリカのライフ誌にてワッソンとホフマンの発見は取り上げられることになり、マジックマッシュルームとそれに含まれる幻覚成分は世に知られることとなった。

後書き

 当記事を読んでいただきありがとうございました。今回はpart1ということでざっくりとサイケデリクスが世に出ていくまでの歴史をまとめさせていただきました。part2では近代文化と幻覚剤についてや、研究と乱用、法規制の流れについてまとめさせて頂く予定です。読んでいただければ幸いです。
※当記事は違法薬物や向精神薬の使用や薬物乱用を推奨しておりません

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