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善意

 電車に乗っていた時である。僕は先頭車両の運転席側の隅に立っていた。数駅進んだ所で、女性が乗車してきたが彼女は、僕が乗車していた数駅の各駅で一度下車し発車寸前で乗車を繰り返していた。一人各駅停車ってやつなのだろうか。ちなみに電車内はガラガラであった。何なんだろうか、これは善意の行動なのだろうか。それとも閉所恐怖症なのだろうか。さすが、いろんな人がいる、そうだ、ここは東京、空を食うようにびっしりビルが沸く街である(ユリイカ引用 笑 )。

 そんな事を考えている時、ジェイソンステイサム主演の「パーカー」という映画を見ていた、スーパーざっくりあらすじは、主人公のパーカーは仕事仲間に裏切られその復讐を遂げる為に奔走するというドストレートなアクション映画である。その映画に出てくるヒロインのジャニファーロペス扮するレスリーはやはり善意の塊であった。まあとにかく、嫌だ嫌だと言いつつパーカーの手助けをし挙げ句の果てには善意が押し寄せパーカーを追って敵のアジトを物色していたらガッツリ捕まるのである。今更ながら、やはり映画というのは善意で話が成り立っているのではないか、誰かが善意を振りかざしすぎてストーリーが進むのである。まあ映画なのだから結果的にはほぼハッピーエンドになるのだからやり過ぎて損をする事はないだろう。

 ただし、現実は全く異なるのである。学生の頃、友人と電車に乗車していた僕は不意に隣にいた人に話しかけられた。本当に不意である。開口一番「玉木宏さんですよね」と言われた。そんなわけないのである。もう一度言う、そんなわけないのである。衝撃を受けていた僕だが振り絞って「あ、違いますよ」と答えた。一緒に乗車していた友人は原型を留めていないくらい笑っていた。そして、謎の人物の謎の一言のボリュームはそこそこ大きく車両内にも響き渡っていた。そりゃあ僕でも「玉木宏だ」という言葉が聞こえれば振り向くし顔もあげるし、駆け出してその声の元に向かうさ。というわけで車両内の人たちも一瞬ではあるがスマホ依存から解き放たれ私の方を見るのである。そこに映る光景は凛とした玉木宏とは遠く離れた、オドオドした眼鏡の小デブが立っているのである。
 他人同士がここまで心を通わせている状況は後にも先にもあれが最後なんじゃないだろうか。しかも落胆というネガティブイメージで。きっぱり否定した僕に謎の人物は「あれ〜、似てたんだよな、メガネが」と言い、何事もなかったかのようにつり革を掴んで窓を見つめ出した。「いや玉木宏メガネかけてねえから。」としか浮かばなかった。逆に他に何か浮かびます?唐突に地獄に連れて行かれた僕はもうなんかスライムみたいにグチャグチャになっている友人と次の駅で下車した。

 あれもよく考えれば善意の振りかざしなのだろう、謎の人物は玉木宏に似てると考え、もしかしたら周りの人に教えてあげたかったのかもしれない。いや違う、悪意だ、あれは。

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