グラスは売られて
ゆるふわ教室の第11回です。
今回も、実話を元に物語で進めましょう。
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夏の始め。強い陽射し。グラスが売られていく前日、乗馬クラブへ向かう。調教して1年経っていた。バスでミドリがつぶやく。
「競馬から来たばかりの頃、臆病だからよく噛みついたり蹴ったりしたよね。せっかく、おとなしくていい子になったのにな」
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グラスは薄暗い倉庫の中にいた。一緒に売られる十数頭が立ち並ぶ。鉄パイプで隣の馬と仕切られただけ。狭くて身動きできない。
「ひどいよ──」
ミドリは、馬の前に吊り下げられたバケツを抱える。汚れた水を換えに小走り。水は新鮮でなければいけない。疝痛は命取りだ。
ふと馬の足元を見た。オガ屑は後ろへ掻き上げられている。床のコンクリートが、剥き出しになっているのだった。
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「ちょっと。ねえ。やめなよ」
やめた方がいい。スコップでオガ屑を平らにするなんて。どうせグラスが前足で掻き上げてしまう。明日には台湾へ売られていく。
「危ないよ。蹴られるから!」
アブが馬の腹に群がる。後ろ脚で払って蹄鉄が当たれば怪我する。でも、スコップでオガを均す。グラスの腹下へ顔を突っ込んで。
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お前さぁ。手入れすると蹴ったよな。ブラシを掛けるとイヤがってさ。初めの頃なんて、噛みついたじゃん。痛かったぜ。
なぁ覚えてる?
よぉ。なんで蹴らねえの。アブがハラで血を吸ってるじゃん。追い払えよ。痛えだろが。オレのことなんて気にしないで蹴れよ!
なんで蹴らねえの?
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思い出す。冬の昼下がり。休馬日。
材木屋のおっさんたちが来る。トラックいっぱいオガ屑を運び終えた後、連れだってガヤガヤと馬房前の通路を見て回る。
手入れをするため、グラスを蹄洗場へ出していた。グラスの怯えが伝わってくる。長い耳を寝かせて俯く。
グラスの前に立った。
心配いらないよ。オレがいるからさ。
そんな軽い気持ちだった。
「よう、あんちゃん、馬ってのもそんな風にすんのかよ。犬っころみてえだな」
おっさんが指さす先を見る。グラスはセーターの肩をぺろぺろ舐めていた。
あれからおとなしくなった。恐がったドラム缶も飛び越える。周りからも褒められた。
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なぁ蹴れよ。バイトの学生調教師じゃ、どうしてやることもできなねえんだ。
蹴りやがれ!
「この暑さで船旅だろ。ヤベえよ。水も飲ませてもらえねえ。グラスなんか、体弱えから一発で死ぬぜ。海に捨てられてサメの餌」
厩務員のマコトは口が悪い。
言われなくたってわかってるさ。
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「もういいからやめて。平らになったよ!」
仕方なく体を起こす。待っていたように馬の蹄が腹をこすり始めた。尻尾も振る。
不意に目の奥が熱い。辺りが霞む。目をしばたく。薄暗い倉庫の天井を見上げた。
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「おとなしくするんだよ」
ミドリが馬の鼻づらを撫でる。
「可愛がってもらいなね」
焦げ茶色の鼻づらに唇を押しあてた。
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最後に写真を撮った。まず、馬とミドリが顔を並べる。ミドリは笑顔でピースサイン。
交代して、ミドリがカメラを構える。馬の横に立つ。笑顔は浮かばなかった。
「ちょっとやめてよぉ──」
ミドリはカメラを下ろす。片手を振る。手で口を押える。くるりと後ろへ向いた。
グラスがTシャツの肩を舐めている。
いつまでも舐めているのだった。
イラストはトーク相手の朔川揺さん♡
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「これ、フジさんの実話やったな」
『贖罪の気持ち、何年経ってもある。難馬を調教って得意だった。それで売られちゃった。この場面、ミドリしか知らない』
「ミドリさん、書かせたくれたんやね」
『ちょっとしんみりしたよ』
「ほな、今度は楽しい話がええな💃」
『そうだね。お笑いもいい』
「でも、書きたいことがある?」
『ミドリの告別式に、台風が来てさ🌀』
「そらまた、えらいこっちゃ」
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ありがとうございます🎊